本と日記(1/17-1/25)

読んだ本

『ヒトは生成AIとセックスできるか―人工知能とロボットの性愛未来学―』ケイト・デヴリン/著 、池田尽/訳

読んだ理由

前に書店で平積みされていて、話題になっているな〜という印象を持っていたので。

感想

タイトルで手に取ってもらおうとあえてセンセーショナルなワードを使っているわけじゃなく、本当に内容に即した邦題だし、セックスとロボット(人工知能)を巡って、様々な分野を横断していくのは楽しかった。なるほど、そら平積みされるわ~って面白さだった。
この本自体が大きな問題提起になっていて、読み終えてからが本番で、来たるべき未来の可能性について、こうだったら…ああだったら…と色んなことを考えるようになる。手元に持っておきたい本かも、と思ったので、余裕があるときに買おう。

話はそもそもセックスとはなにかとか、人工知能を語る前に”知能”について話をしようとかから始まるんですが、筆者がセックスを「携わる全員が興奮と快楽を得るためにする行為全般」と定義づけていたのが印象深かった。
というのも、「AとB、セックスしてくれ〜」と年中叫んでいるフォロワーを知っているから(「これはもうセックスだろ!」と言っている時もある)。当人は「関係性のエッジを擦り合わせるあらゆる工程はセックス」と言っており、セックスとは性器同士の出会いのみを指す言葉ではないと綴る筆者と重なって妙なツボに入ってしまった。

そういった観点でもう一個面白かったのが、マニック・ピクシー・ドリーム・ガールという言葉。「悩みを抱える内気な男性を翻弄しながら、彼自身を受入れ、人生に希望を与えてくれる明るく奔放な女の子」という意味合いで、元々は男性主人公にとって都合の良い一面的なヒロインという映画の中の性差別的な脚本への批判に作り出された言葉らしい。「陰キャにやさしいギャルって名前ついてたんだ」と無駄に感動した。映画好きの知人とかだったら知っていたのだろうか。

筆者はシンギュラリティ(意識を持つロボット)がどう描かれてきたか?を映画を通して論じていたけど、私にとって身近だったのがデトロイトというゲームで、昔友人の家に泊まり込んでやらせてもらった思い出がある。人類と人類が創り出した知能と自意識を持った存在とが進む道を示唆したような物語のゲームで、とても面白かった。
基本的に、やっぱり新しい概念やテクノロジーは既存の価値観へ大きなダメージを与える(現在の自分たちの地位を揺るがしてしまう)という考えが浸透してるからか、SFってそういう暗い展開になりがち。
いつか現実でも起こるであろう人が新たな意識ある存在の創造主になる時代において、両者の関係が良いものであってほしいな〜とぼんやりと思う。

とはいえ、個人的にはセックスロボットが一般向けに販売される事があっても、好奇心旺盛な趣味人が手にするくらいなんじゃないかな〜とも思う。セックスロボットを開発する企業の多くはセックスドール(ラブドール)関連企業らしいけれど、それ自体も稀有な趣味だし、そもそもセックストイ(本書で所謂”大人のオモチャ”って英語でもトイなんだ…と変に感心した)を持っていないという人も多い。家庭用ロボットの方面から見てもアレクサ、グーグルホームに代表されるスマートスピーカーも体感周囲で持っている人はまだ多いというわけではなさそう。
「SNS上で顔を出すより裸体を晒す人のほうが多い」という話が出てきて、現状、顔よりも裸体のほうが特定されにくいが、セックストイへIoTが活用されていったら、きっとそういった個人情報も丸裸になってしまう。という懸念が示されていたのが面白かった。逆に顔認証や指紋認証と同じ要領で自分の裸体が何かしらの認証に使えるかも知れない。裸体を認証に使える場面をあまり想像しきれないけど。

生成AIと言えば、この本を読み始めた頃に、九段理江さんの『東京都同情塔』が芥川賞を受賞し、本文の5%ほどを生成AIの文章をそのまま使っているとコメントしたことも話題になった。是非はさておき、早いな〜と思った。
私はぼんやりと、「絵に描いたような景色」と言うように、いつかは「AIが描いたような絵」と言う言葉が自然になっていく気がしてるし、なんなら森林浴に行って「AIが生成したような景色」と感涙するのかも知れないな〜と思っている。なんとなく半世紀後くらいだと思っているけど、この分野の成長は著しく、もしかしたらかなり早くにそうなるのかも。


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