久しぶりに読む荘子

今日は朝から荘子の本を読む.

去年は授業と延長戦を含めて1年間,内編の中でも逍遙遊篇,齊物論篇を「せっかくなら原著も読まにゃ」という方針のもと白文をベースに,もちろん白文だけでは理解できないので,先生がその場で書き下し文を発声し,リアルタイムで返り点を打ち,解釈するという授業だった.

先入観なしに文章を読んで感じたり解釈するのは楽しかったが,時代背景とともに,思想を解釈していく作業もまた楽しい.日本は儒教的な考え方が根強いように感じるが,孔子と対比したときに,戦国の行き場のない絶望のなかどこまでも「現実」に向かい合った結果として生まれた無為自然の思想に僕は傾倒してしまう.山木篇の戯曲は非常に本質的だと感じた.無気力という批判もあるけど,本当にやる気があるギラギラした人たちはこんなの読まないんだから,これでいいじゃん.

われわれの人生は有限である。しかし、人間の知と欲とは、外へ外へと無限に広がってゆく。有限の身で無限のことを追い求めるのはあやういことだ。あやうきのみであるのに、なおかつ知の放埒に身を委ねる者は危険この上もないことだ。(福永訳)

知も人間も危うい.六気の便に乗じて以て無窮にカオス生きる決意.

ちなみに,中国語キーボード(手書き)を入れておくと,わからない漢字があったときに便利です.






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