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雪国の知恵と工夫が生んだ、おいしく、美しい文化

新潟県十日町市。いわずと知れた、日本有数の豪雪地帯です。毎年のように2メートル、3メートル級の雪が降り積もります。昭和59年には、なんと5メートルを超える積雪を記録したこともあるとか!――電柱が雪で埋まって、電線をまたいで歩いた、なんて話も伺いました。

1年間の暮らしが「雪」を中心に組み立てられる十日町

冬には、朝目覚めると50cm積もっていることも珍しくないそう。出勤前と、帰宅後の雪かきは日常で、山沿いの集落では朝晩に1時間ずつすることもあると言う。1年に1・2回、わずか数センチ積もっただけで「大騒ぎ」の東京では、考えられない生活スタイルです。

十日町の人に「初雪を見ると、どんな気持ちになりますか」と伺ってみました。すると、「やれやれ、今年もきたか、って感じですね。」と苦笑いしながら答えてくれました。

東京に住む私にとって、雪は「非日常」です。降ればちょっとワクワクするし、現実を忘れさせてくれる楽しみもあります。でも、十日町の人たちにとっての雪は「日常」。やっかいな存在ではあるけれど、生活の一部として甘んじて受け入れる、という感覚のようです。

そんな十日町には、雪と共に生きる覚悟をしたからこそ受けられる、すばらしい恩恵がたくさんあります。その一つが「食文化」でしょう。

雪国のおいしい「知恵」をいただく

「雪国暮らしでいちばん大事なのは、一年中食べ物に困らないようにすること。」

十日町をめぐる道中、お昼を食べるために立ち寄った、山沿いの川のほとりにひっそりと佇む、お店のご主人の言葉です。

雪が降れば、何日間も家から出られなくなります。そうなる前に、食糧をしっかり蓄えておかねばならない。そんな生活をくりかえす中で、十日町では食材を長く保存し、おいしく食べる工夫が生まれていったのです。

ご主人のお話を伺いながら、雪国のおいしい「知恵」をいただきました。みそや漬物などの発酵食品、雪解け水の恵みから生まれたへぎそば、雪の下で保存し越冬させた野菜……などなど。

雪の中で保存された野菜は甘みをためこんで、味に深みが出てきます。秋に収穫しないまま雪の下で冬を越した雪下人参の甘さには本当にびっくりしました。

もう一つ、驚かされたのは天ぷらです。大豆、栗、するめ、めざしの一夜干し。この辺りでは、人気のある食材ではなく、保存のきく食材が天ぷらになるようです。うん。とってもおいしい。

豪雪という過酷な環境にあっても、人は新しい価値を生み出すことができるのだということを、改めて感じました。

雪がこの地にもたらす恩恵は計り知れません。雪は春には大量の雪解け水として山を潤し、それによって灰汁が少なく、柔らかな山菜が採れるのだそうです。また、その大量の雪解け水による地滑りで山肌が入れ替わることで、きのこもよく育つのだとか。なめこなどは、普段スーパーで見かけるサイズの5倍もあって、びっくり!お土産に買って帰ったら、家族がめずらしがって、喜んでくれました。

冬ごもり生活が育んだ美しい文化

十日町は、古くから織物の産地としても有名でした。雪の時期は家の中で過ごすことが当たり前であったため、家内制手工業が発達。冬の副業として、男性はわら細工や竹細工、女性は麻織物を手がけるようになりました。

ここで、十日町の伝統的な麻織物「越後縮」が誕生しました。江戸時代には、京都や大阪、江戸などの呉服屋が山を越えて買い付けに来るほど、繊細で、高品質な生地をつくりあげていたようです。

そして、生地を求めてやってくる人たちをもてなすために、飲食店が栄えました。今でも商店街にチェーン店は少なく、昔ながらの風情を残した郷土料理のお店が多いのも、そのころの名残なのかもしれません。

明治時代になると、主産品が麻から絹へ転換し、絹織物の工場生産がスタート。昭和40年代には「織り」だけでなく「染め」も同時に行われるようになりました。

本来、「織り」と「染め」は生産方法がまったく違うため、一つの工場でやることはほとんどありません。こだわりの一貫生産体制によって、十日町では個性あふれる美しい織物が数多く生み出されてきたのです。

一方、お昼に立ち寄ったお店の主人の話によると、その辺りでは出稼ぎに行く男たちは、ひと山越えた麓の道具屋にクワなどの農具を預けてから、都会に出ていったそうです。農具を担保に、路銀を借りるためです。

出稼ぎを終えると借りた金を返し、預けていた農具を受け取ります。農具は、道具屋の手によってピカピカに磨かれており、春から始まる畑仕事をスムーズなものにしたそうです。

この話を伺って、なるほど、上手くできている、と感心しました。道具屋は担保があるから男たちに安心してお金を貸せますし、農具の修理や手入れという副業にもなります。

雪国の経済活動を支えてきたこうしたシステムは、今話題のシェアリングエコノミーの先駆けともいえるのではないでしょうか。そして、ふと思いました。この仕組みを活かして十日町への移住を後押しできないだろうか、と。

二拠点生活の提案

十日町市は、東京23区とほぼ同じ大きさですが、その人口はわずか5万人。少子高齢化に歯止めがかからない今、十日町に来てくれる人、関わってくれる人を増やしていかなければ、これまで話したすばらしい文化資源が途絶えてしまう可能性があります。十日町の魅力を理解し、文化振興の担い手となってくれる人を集めることは、文化観光を促し、地域活性化を目指す上でも、重要なポイントになるでしょう。

とはいえ、都会暮らしの人がいきなり雪国に移住するのは簡単なことではありません。そこで、二拠点生活から始めてみるのはどうでしょうか。たとえば、東京に住んでいるけれど、ウィンタースポーツが好きという人が、雪の季節だけ十日町に家を借りる。逆に、冬の間は十日町を出て、東京で副業をしたい地元の人もいるかもしれません。

そうした人たちが、自分が住まない期間に家を安く貸し出したり、使わない家具や家電をシェアしたり。そんな仕組みがあれば、二拠点生活に誰でも気軽にチャレンジできるようになれるのではないでしょうか。最近はテレワークが普及し、週末農業やアウトドア生活にも注目が集まっています。ニーズはありそうです。

十日町の魅力は、踏み込むほどに見えてくる

清津峡渓谷

文化とは、生活の中で育まれるものであり、その地で生き抜くための知恵の集まりです。十日町を知れば知るほど、雪国生活が育んできたオリジナリティあふれる魅力に引き込まれます。

清津峡、火焔型土器、棚田など、ここでは紹介しきれなかったすばらしい文化が、十日町にはまだたくさんあります。腰を据えて、その魅力をじっくりと味わってもらうためにも、二拠点生活の推進は個人的にも考えてみたい取り組みの一つだと思いました。

棚田

先日、十日町の人に声をかけました。「雪かき、大変ですね」と。すると、「いやー、けっこう体幹が鍛えられるのでいいんですよ。」と、軽やかな笑顔で返されました。除雪作業を“ジョセササイズ”と呼んでいるんだ(笑)と。その笑顔の中に、「雪があっての十日町だ」という、町の人たちの誇りが、垣間見えた気がしました。

文化観光コーチングチーム「HIRAKU」コーチ
釜石 剛(株式会社コクーンラボ 代表取締役社長)

<プロフィール>
外資系広告代理店で全国各地の放送局を担当しその後クリエイティブへ異動、新規事業会社の立ち上げを経て、大手広告代理店にて省庁の広報、事業開発などを行う。東日本大震災を経て2014年に社会課題解決型、ソーシャルビジネスを中心とした事業体として株式会社コクーンラボを立ち上げる。

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