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フィールドワーク1日目

自分の記録のために,簡単なフィールドワーク日誌を書いていこうかと思う。舞台は,岐阜県の旧徳山村。

調査は無理だと言われる

徳山村は,今,ない。
2008年に完成した徳山ダムのダム湖に沈んでしまっている。
村民の人たちは,1980年代から離村を開始し,2000年頃までには離村を終えていたようである。

色々な先行研究を読んでいて,この村の方言の調査をしたいと思っていたけれど,難しそうだと感じていた。
近隣の大学の調査経験がある先生方に聞いても,「もう協力してくれる人はいない」と言われてしまう。各集落出身の方はいても,離村から年月が経っていて,もう伝統的な方言を使われる方はいないだろう,と半ば言い切られてしまいった。非常にネガティブな反応だった。
一時は調査に行くことを諦めていた。

最後にもうひとおし

それでも諦め切れず,この3月だったかに,ダメもとで,以前お世話になった揖斐川町の教育委員会の方にお尋ねした。
すると,ある,徳山出身の方をご紹介いただけた。ただ,その方は,私が調査しようとしていた集落ご出身の方ではない。それでも,その方に聞けば,何かわかるのではないか,ということで,連絡先を教えていただいた。

すぐに筆を取り,その方にお手紙を書いた。程なく,お返事をいただき,当該の集落出身の知り合いがいるから,紹介しよう,と言っていただけた。
ただ,「もう伝統的な方言を使われる方はいないだろう」という先生方の言葉が頭をよぎり,不安もあった。もちろん,伝統的な方言でなければ調査する価値がないというわけではない。それでも,できるならば・・・という思いがある。
とにかく,もう他に頼るあてもない。このチャンスに賭けることにした。

往復6時間の車旅

調査にあたり,来るように指定された場所は,徳山会館。ダム湖を見下ろす場所にある,徳山村の歴史などについて展示のある施設だ。職場から約100km。公共交通機関を使うよりも,車で行ったほうが早いが,下道で3時間程度かかる。
1時間目の授業を終えて,早めの昼食をとって,車に乗り込んだ。免許取得から1年と少し。100kmの走行は初めての経験である。

途中渋滞に巻き込まれながら,2時間程度で揖斐川町に入る。休憩のために,公園の駐車場に車を停めた。さあ,ここからあと少しかな,と思ったが,そこから徳山会館まではずっと上り坂。道は整備されているが,カーブが続く。幸い対向車は少なく,危険なことはなかった。

早速調査開始!!とはいかない

到着して,建物の中に入ると,ロビーで観光客と思しき若い夫婦と話している,やや高齢の,しかし,上品な女性がいらっしゃる。その方に頭を下げ,ひとまず,館長さんにご挨拶。すぐに,私のことを認識してくれた。

どうやら,ロビーにいた女性が協力者の方のようだ。館長さんに,徳山村の歴史が展示してあるスペースの方で二人で待つように言われる。改めてご挨拶をして,二人で机と椅子のあるところで,しばし雑談。館長さんも同席してくださり,またご挨拶。お二人は,古くからのお知り合いらしい。

さて,言語調査の前にはやらなければいけないことがある。
1つは,インフォームドコンセント,つまり,調査の目的などに関する説明をし,個人情報をお聞きし,調査・記録することについての同意を得る必要がある。これはマニュアル通りで,すぐに終わる。

次に,これは調査の一環でもあるが,調査協力者の「プロフィール」をお聞きする。どのような背景を持った方からお話を聞くのか,言語の研究にとっては,大事な情報である。
 私は,この時間が結構好きで,大事にしている。協力者の方のことをよく知ることができるというのはもちろん,意外な共通点が見つかったり,実は両親と同じ歳だということがわかったり,ということがある。そういうところから,自然に打ち解けて,調査を作りやすい雰囲気を作る,そういう目的も実はあると思う。下地さんがおっしゃるところの「フィールドワーク0日目」である。

ただ,注意も必要で。やはり,個人情報である。なんでも根掘り葉掘り聞けばいいというものではない。ましてや,初対面である。その場の雰囲気などにも気をつけつつ,どこまで突っ込んで聞いてもいいかには慎重になる。

そんなこんなで,相手のご年齢や居住歴などをおうかがいする。そして,これが済んだところで,タイムリミットまで30分となっていた(なんてたって,片道3時間!!)。

発音の真似ができない・・・(泣)

そうして,調査に入る。ここからが,本当の「フィールドワーク1日目」である。

未知の言語を調査するときに最初に行われるのは,多くの場合,基礎的な語彙を調べながら,その言語の音声・音韻的な特徴を探っていくことだ。もちろん,よく言われるように,実際には音声・音韻,形態・統語,意味・語用,これらが,言語学の教科書よろしく,順番に行儀よくやってきてくれるわけではない。ときにはぜんぶいっぺんに,そうでなくても,複数のことが関わって,我々の前に現れるのである。ただ,とにかく最初にやることは,基礎語彙の調査である。

通常,我々は調査リストを用意していく。今回もそうした。
それで,「じゃあ,まず簡単な単語の発音とかから教えてください」と申し上げ,こちらから単語を聞こうとしたところ,「それじゃあ,「私」からいきましょうか」と言われ,あちらから積極的に教えていただけた。
こちらが最初に用意していたのは「私」ではなかったのだが,教えていただけるなら,なんでもいい。協力者の方がやりやすいところから,と思って,委ねることにした。

・・・で,タイムリミットの30分を過ぎたとき,ノートに書かれた単語は2つ。実際には4つの単語を教えていただいたのだが,書き込むことができたのは「私」と「私たち」の2つだけだった。その他の2つは「あなた」と「あなたたち」。

実は,「私たち」を表す語の発音を習得するのに,時間のほとんどを割いた。何度も何度も繰り返し真似したが,なかなか満点がもらえない。10回くらいやってダメだった時点で,「今日はこの単語だけできるようになって帰れれば,もう他はいいや」と腹を括った。

結果,なんとか時間ギリギリで,OKをもらえた。お付き合いくださった協力者の方に,本当に感謝である。

期待を胸に

さて,もしかしたら30分で4語というのは,とんでもなく少ない成果で,ただただ私の能力不足を露呈しただけに過ぎないかもしれない。ただ,私としては,もちろん,発音の真似ができないことに焦り,悔しい思いもしたが,同時に,今後への期待で胸がいっぱいになった。

「もう伝統的な方言を使われる方はいないだろう」と言われ,諦めかけていた。しかし,この私が容易に真似できなかった発音の存在は,おそらくだが,伝統的な方言が,まだ元気に使われている証拠ではないかと思った。

まだまだやれることがある。
出雲,木曽川という今取り組んでいる2つの場所のことばに加えて,この徳山・戸入のことばにも,今後時間をかけて向き合っていきたいと思う。

協力してくださった方はとても良い方で,今後の調査の約束もしてくださった。実は,フィールドワーク初日は,これが大事で,大きな目的はやはり相手との人間関係を築くことにある。
むしろ,初日からまとまった成果など求めるほうが無茶であろう。相手は「人」だ。その人との関係を築くことが,フィールドでの言語調査の基礎であり,そして醍醐味だとも思う。だから,今回の往復6時間の旅は,その意味でも実りあるものだったと思っている。

帰りの車の中では,ずっと教えてもらった単語の発音を練習していた(もちろん運転には十分注意しながら)。

近いうちに調査を予定している。その報告は,また。