質と量の間に生きる現代人

人生、質と量の両方をバランスよく保つのが良いと感じます。

質というのは、その人の内発的動機付けに基づいた創造物だと考えています。子供の頃は自然にできる人が多かったと思います。手元にある2つのものを組み合わせて新しい発想をしたり、もしくは新しい遊びを作るという創造の過程です。

しかし大人になると知ることも多くなって、それが難しくなってくる。いつの間にか、量の世界で生きていることに気づきます。

でも気づいたら量の価値観が優位な世界で生きていたわけではなく、学生時代のあらゆる経験が実は量的価値観へ突き進ませるための教育だとも捉えることができます。一番分かりやすいのは、学力を数値で競う偏差値、入学する大学により将来の年収が変わるという暗黙下の年収という数値比較等があると思います。

それらは社会に出れば当たり前のようにはびこる価値観になっていて、例えば、本を読んだ冊数の比較、達成した目標の数、得られたいいねの数、副業の年収など世界のあらゆる箇所に存在します。

量の世界観は資本主義経済ならではだと思います。量は、対象を客体化し、自分を切り離すことで遂げてきた科学的な考え方に基づくコンセプトだと考えています。

どちらが悪いわけでもなく良いわけでもない

資本主義によって科学文明が発展を遂げ、そして最近ではmRNAという最強のワクチンが生み出されたことで、何と人類は人為的にウィルスの力を弱めることに成功しています(ここでは重症者数・死者数の低減をワクチンの成功と考えています)。

そして自然界で自然に生きるよりも圧倒的に安全で命を脅かされることのない世界に生きることができています。かつての人間は、人口の20%以上が、寿命以外の何らかの理由で亡くなっていた世界だったそうですが、今ではわずか1%にも満たないそうです(数字は間違っているかもしれません。)。

しかし一方で、量的価値観だけで生きてしまうと、心が死んでしまうわけです。元々、人間が元来求めていたのは、プロセスであり、遊びであるからです。その結果、精神的充足が得られず精神的に辛い状態になるのが現代です。

だから、両方を50%ずつ持つのが良いと思います。私は質と量の生き方は相いれないと思っていて、その理由は量の世界は人を呑み込む力が強すぎるからです。だから気づいたら100%量の世界に生きていた、ということにもなりかねません。なぜだかいくら稼いでも、いくら副業しても、いくらいいねをもらっても、いくらインスタに写真を上げても満足できない世界観。

そういう意味で、例えば量的な作業(仕事など)をしているときは淡々とそれに集中する。そしてその割合は1日の半分以下の時間には少なくとも抑えたいと考えています。

残りの時間は、質的な活動に費やすと良さそうです。その時には、具体的な目標や数値的な目標は掲げず、本能従ってのうのうと行動していく。例えば道をとぼとぼと歩いていて、分岐があって左か右に行くか、というのを事前に調べていると量的な価値観に近くなってしまって苦しくなるが、質的な価値観だとそこで本能に基づいて判断すればよいわけです。その選択するプロセス自体を楽しむことで精神的な充足感を得るわけです。

日々の積み重ねが、量的にも質的にも満足度を高める方法なので、日々やっていることを見直すのは、人生の満足度を高めるためにはとても重要だと考えています。

なお、仕事の満足度を高める上で、この本の考え方はとても参考になりました。

起業のための本、ですが、元々会社員に向いていないと考えていた著者が、いろいろな仕事を組み合わせることで、自分の趣向にあった仕事ができるという話です。

「いろいろな仕事を組み合わせる」というのがとても興味深くて、組織で働くと安定した給与で安心はできる反面、締め付け(自由度がない)により精神的には辛くなる。

でもそれに、異なる性質の仕事、例えば、一人で完了するが物販の取引でお金を得る、満足感は出ないものの、自由な時間が得られるというのを組み合わせたり、もしくは、一人で仕事をするのは孤独感に苛まれるので、コンサルティングという仕事で人と会話することで充実感を補填する等。仕事の性質を理解し、組み合わせることで満足感を高めると同時に、その組み合わせを考えるプロセスこそ、精神充足の働き方のためのヒントだと思いました。

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