「内の子も悪いがこうなるまで学校は何していたのか」加害生徒親
この言葉は本当に辛い。「内の子も悪い」と認めてくれているだけましだともいわれるだろうが。
じゃあ、どう学校はしたらいいのか?友人同士の「じゃれつき」だとか「ふざけあい」だとかいう段階からじっくり話は聞くべきだ。周囲の教員から管理職から「神経質過ぎ」とか「被害生徒に寄り添い過ぎ」とか言われてもここで最初の一歩は必ず踏み込む。
被害者側の生徒から「別にいじめられてません」とか「友達だと思ってる」とか返されても、相手には何か問題があれば学校は取り組むなと印象づけられる。これが非常に大事。このメッセージを出してやることが一番大事。もしいじめがエスカレートした時(これが実は多い)に「実は先生・・・」と話寄ってくる。
さあ、じゃあ、もう我慢できないから先生に言おうと思った生徒の中にある不安は何か?不安のない生徒などいない。
かってこういう先生をみた。職員室中に聞こえるような大声であった。「いい、あなたが嫌と言わないからやられるのよ。嫌なら嫌とはっきりと言うの。わかった。学校では解決しても、あなた世間に出たらどうするの。世間では誰も助けてくれないのよ。もっと強くなって」と。自分の席から声の方にわざわざ行った。座って下を向く生徒に下から顔をのぞき込むようにして話していた。職員室中に聞こえる声で。この生徒はやめた。
この先生には20年以上後の6月に、用事で行ったある高校の廊下で会った。あの頃はあまり話したこともなかったが、挨拶するとすぐに話しかけてきた。定年後4月から嘱託でこの学校で働き始めたらしい。「授業観察後に校長に色々と言われた。自信をなくした。校長の話が他の人にも伝わっているんじゃないか。なんか周囲がそうみてる気がして眠れなくなった。もうやめようかと思ってる」と。当時の大声で話す人ではなくなり、横を通り抜ける先生にもビクビクした視線を投げていた。「もっと強くなって」とは言わずに一方的に話す話を10分位聞いた。「話して少し気が楽になった」と言ったので分かれた。
脱線したが、元に戻すと、どこにでもいじめのようなものはある。あるときは加害者的立場だったり、被害者的立場だったり、傍観者的立場であったりする。「いじめはどこにでもあるからしょうがない。社会に出てもあるんだから自分で解決をできるように、学校でもしてあげるべきだ。だからすぐに手を出してはいけない。生徒の成長の機会を奪うことになるから」と。
表題に戻るが「内の子も悪いがこうなるまで学校は何をしてきたのか」の発言に対しては「何月何日に生徒を呼んで話を聞いた。その時点では生徒はいじめとは訴えなかったので動かずにみていることにした」と。この「何月何日」が大事。次は生徒の不安について書きます。
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