各立場から考察する麻雀の長考問題

麻雀の時間制限(1半荘の打ち切り時間のことではなく、一打に要する時間のことです)、長考についての話がTwitterで流行っていたので乗っかって自分の考えを書いてみたいと思います。

ただいろんな観点といろんな問題点が混ざり合ってるのでできるだけ切り分けながら考えていきたいと思います。

(1)ルールの問題なのか選手の問題なのか

根本的には間違いなくルールの問題です。

基本的にたくさん考えるべきことがあるゲーム(正比例ではないとしてもたくさん考えた方がだいたい有利になるゲーム)で時間に関する規定が無いのはおかしいし、それに対して他の要素を加味することなく長考すべきでないというのは野球において変化球は男らしくないと言ってるのと同じです。

他の要素を加味することなくというのは実現性とか興行とかそういうやつですね。

例えばリアル麻雀で選手の持ち時間を定義する仕組みを作るのは大変です。そもそも自分の手番以外にも自分の思考時間(鳴くかどうか)が発生するゲームなのでプレイヤー一人に与えられる時間とはどの範囲なのかという定義からしなければいけません。これは実現性、技術的な問題です。

ネット麻雀にすれば解決しますが、例えばMリーグがネット麻雀になったら間違いなく今あるMリーグの魅力は失われると思います(代わりに別の魅力が生まれる可能性はありますがそれなら別プロジェクトとして立ち上げれば良いですよね)。これは興行的な問題です。

つまり「本来ルールがあるべきだが○○という問題があって困難だから妥協案としてこうしている」という意見については、私個人としては理解できるので今の競技麻雀のシステムがてんでダメだ、というつもりはないです。

ただ本質的に、「思考時間を規定するルールがあるのが理想である」というのは絶対で、もし技術的問題が解消されたとしても今のルールのままで良いんだという主張の人がいるとしたらそれは競技とは何かということを深堀して考えたことがないだけだと感じます。

ネット麻雀にしたら全て解決じゃないの理論についてはあとで触れる(有料部分ですすみません)としてここからの議論は「完璧な仕組みを作るのが難しいとした上でどう考えるか」という観点から語ろうと思います。

(2)単なるプレーヤーなのかプロ(求道者)なのか

立場による違いという観点から考えてみます。

というのも、私自身は「プロは長考しても良いから正着を打つべき」という風にも思っています(状況によりますね。これについては後述)。

これは麻雀プロという存在をどんな立場だと考えるかにもよりますから私の個人的な価値観によるところも大きいという前提でお読みください。

プロに求められるものはいろいろとあると思いますが、そのひとつに「高いレベルで戦術や個別の選択に対する探究をして、アマチュアができない、レベルの高いプレイを見せる」というのはあると思います。私の中でのプロは結構これの比重が高いです。

仮に毎巡3秒で選択した結果、打牌を麻雀の神様が採点したら60点だったとします。
そして対戦相手は50点でした。

60点 VS 50点 だったので勝ちですね。プレーヤーとしてはこれでOKですが、もししっかり考えたら61点がとれたかもしれません。

単なるプレーヤーならどうせ勝ちなんだから60点でいいけれど、プロという存在に求道者的な役割が求められるのであれば61点をとりにいくべきなんじゃないかと思います

ここら辺は人それぞれ価値観があると思いますが、出来る限りの手を尽くして100点に近い点数を目指す存在がかっこいいなあ、というのが自分の価値観なので、長考して61点をとるプロはかっこいいなと感じます。

これは単なる主観ですが、ここで語りたいのは同じ麻雀強者であってもフィールドが違うとこの理屈は成立しないということです。

フリー雀荘やネット麻雀で勝つのが目的だと(そもそもネット麻雀は時間制限があるというのを抜きにしても)できるだけ省エネで60対50の勝ちを拾うほうが61点を目指すよりトータル収支がよくなる、みたいな観点がでてきます。80点になるなら考えるべきだけど1点しか違わないなら早く切れよ、となります。

それに対して麻雀プロの対局はMリーグでも毎日2試合、通常のリーグ戦は月に1~2回なわけですから、相対的に61点を目指せる環境での勝負である、ということができます。

与えられたルールの中で最大限勝ちを目指すのがゲームのあるべき姿だとするなら、そもそもルールの段階で競技麻雀(規定回数がきまっており、かつスケジュールに余裕があるゲーム)とそれ以外では長考の必要度合いが違うということです。

これは勝手な私の妄想ですが、長考が多いトッププロというのはこの61点を目指す求道者的思考なんじゃないかなと思っていて、もちろんそれがどんな場面でも絶対的に正しいとは言いませんが、これをかっこいいとする価値観は麻雀好きとしてはそれほど特異ではないんじゃないかなあと思います。

あとはそうやって点数が高くなっていくと、考える時間が増えるって話もありますよね。

たぶん今私が数学の積分とかの問題を出されて、マークシート形式で答えろって言われたら2秒で終わります。考えてもどうせわからねーなこれって判断するまでが2秒で、そこから先は「考えている」ではなく「悩んでいる」だけです

けど数学が得意な人なら違いますよね。2秒より長い時間「考える」ことで正解にたどり着けます。

麻雀も同じでレベルがあがればより多くのことを考えられるようになります。この点はフリーの強者とトッププロで差があるのかどうか自分にはわかりませんが、すくなくとも初中級者で「プロは何でこんなに悩んでるの。しかもその結果切ってる牌俺と一緒じゃん。」みたいに思っている人には知っておいて欲しい理屈かなと思います。

(3)単なるプレーヤーなのかプロ(コンテンツの提供者)なのか

さきほどはプロを「少しでも100点に近い選択を目指す求道者」という認識で語りましたが、その一方で「プロとはファンに魅力的な対局を魅せる、すなわちコンテンツの提供者である」というような価値観もあると思います。

こうなると当然ファンにとって楽しみづらくなるような長考はすべきじゃない、となります。特にライト層をターゲットとする、すなわち麻雀の普及にも貢献したいと思うような媒体であるならなおさらです。

そう考えるならMリーグにおける長考は、できるだけ無い方が良いと言えるでしょう。

ただ、コンテンツというのは選手だけで作るものではありません。そこにはプロデューサー的な役割(どんな番組にするかという意思決定権を持つ役割全般をここではプロデューサーと呼称します)の人がいます。

真剣勝負であるなら当然長考したい場面もでてくるでしょう。そこを無理に「早く打て」というのは、考えようによっては真剣勝負なんてしなくて良いからエンタメ性を重視しろと言っている、と捉えられなくもないです。極論ですが。

じゃあこの真剣勝負とエンタメのバランスをどのくらいにすべきか?ってのを考えるのは一人一人の選手じゃなくてプロデューサーであるべきですよね

「この対局はあとで編集してから公開するので選手のみなさんは好きなだけ考えてください。スタジオの時間が過ぎちゃったら続きは後日収録しましょう。」

というのもアリなら

「この放送は生放送で、スポーツ観戦のような興奮を伝えるのが目的です。リアル麻雀の方が人間ドラマが伝わると思うのでネット麻雀は使えません(制限時間の規定をしっかりとはできません)。したがってすみませんが、長考は遠慮してください。場合によっては審判が長考を指摘することがあり、それでも改善されない場合はこのようなペナルティが与えられます。」

と選手に伝えておくのもアリです。

どっちが正解とかじゃないんですが、大事なのはプロデューサーがその責任を負うべきってことです。映画だとしたらこれを考えるべきなのは監督や脚本家で、選手というのはそれに従って演技する俳優なのですから、コメディなのかドラマなのかも伝えられずなんとなく「麻雀ってこういうものだよね」というふんわりしたイメージのもとアドリブで演技させようとしても無理でしょう。

もし「長考しても良い」と言われてる対局で早く切らなきゃという焦りからミスしたならそれは選手が下手なだけですし、逆に「長考するな」と言われてる対局で長考を連発する選手がいたらオファーを切られても文句言えないよね、という感じで責任の所在がはっきりします。これ、わかりやすくないですか?

この問題がなんとなく選手だけに転嫁されててかわいそうだなあというのは観てて思います。

(4)ネット麻雀を使うこととプロ団体のイシューの話

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