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ターニングポイント03

沖縄入りしてはじめにとった宿はゲストハウスだった。屋上にプレハブが一つあってそこを仮住まいにした。三階建ての建物だったが、三階はもう長期で住んでいる老人しかいなかった。驚いたことに住所変更の住所をゲストハウスの部屋にしているんだから、もう出ていくつもりもないのだろう。


そこから昼間は不動産屋に行ったり、市役所行ったりして、夜は毎日飲み屋に行った。沖縄の人たちは優しくてほぼ毎日違う人に奢ってもらった。おでん屋で飲んでそのあとそのお婆さんの家に泊めてもらったりもした。


そうこうしているうちに部屋を借りれることになった。今度は海から徒歩3分の場所に住むことにした。毎日飲みに行ってたのをやめて、夜海に行って瞑想する様になった。この時の瞑想は「我が我が」と外に向かっていく方向性から、波音に耳を澄ましたり、星空を感じたりと受け取る方向にシフトする感覚を養えたと思う。特に寄せる波と返す波の音の隙間に耳を澄ますことを海から教わった。


沖縄に行ったらヨガを始めようと思っていたのでヨガのティーチャー・トレーニング(RYT200)を受けることにした。まだ始めてもいないのにティーチャーになろうとするのは俺ぐらいだろうなと思ったら、何人かそういう人達がいた。なんと世の中はヨガブームになっていたのであった。ワンレンロングヘアーの女子がグリーンスムージー片手にヨガマットを背負って朝日に向かって太陽礼拝みたいなのが流行っていたのである。


私が師事した先生は「今時代は全部インスタントに向かっているが本来ヨガはそういうものではない、200時間勉強したからってヨガが分かるわけではない」と授業のはじめに言うような先生だった。部活もバイトも仕事も何も続かなかった自分も何か続けたいなと思っていたので、ヨガは良いかもなと思ったのだった。


どうしてこの先生にしたかというと、ヨガの先生っぽくないからだった。音楽大好きで夜はクラブに行くし、車も真っ赤なオープンカーだったし、タントラってのはセックスOKなんだぞ!とか平気でいう人だった。仕事もWSと講座だけで海の見える絶景マンションに住んでいたし、多分当時は一年通して三ヶ月ぐらいしか働いていなかったんじゃないだろうか?まぁ真相は分からないが、あの頃の私にはそう見えた。とにかく世間のヨガの先生象からかけ離れていたのが面白いなと思ったのだった。多分この頃はまだ自分の中でヨガって宗教家みたいで恥ずかしいという想いがあったから、それを打ち壊している先生が面白かったんだと思う。


先生はヨガの知識や教える技術においては群を抜いていた。とにかく生きた知恵を伝えていたのだった。教えは面白く、どんどんのめり込んでいったのを覚えている。この頃出会った仲間とは今でもたまに会う。ぶっ飛んでる人が多くて自分の思い込みを外してくれる人たちがとにかく多かった。


この時に先生から「平出さ、お前焦りすぎだよ」って言われたことをすごく覚えている。生活もなんとかしなきゃいけないし、お金もそこを尽きちゃうし、というのが体の使い方や呼吸に表れていたのだと思う。アサナ(ポーズ)というのは身体を解体していくことも含まれていて、それは飛び級で一気に進んでいくことはできない。例えばヴィラーサナ(割り座)というポーズがあるが、足首が硬いとこのポーズはできない。

はじめはブロックなどを入れて足首を柔らかくしていくのだ。ブロックの高さを変えて少しずつ少しずつ解体していく。その作業はとても地味で時間がかかる。

自分を正していくことというのは時間がかかることなのだ。派手なポーズの裏にはとても地味な時間があるということをとても派手な先生から教わったのだった。

全然胸が開いてない2014年

すぐに結果が欲しくて、インスタントに色々覚えたいというのはその奥に焦りがあることを私は身をもって知っている。最近人から「何でもできて何でも知っていますね」とか言われたりするけど、私にも本当に何にもできなくて何も知らない時代が最近まであった。そして今もやってみたら全然できないし、知らないことだらけで笑ってしまう。

ただ、この時に積んでいくことの大切さの種を植えられた気がする。

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