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カナダ紙「2020年代についての1920年代からの教え」

今年もいよいよ残り一日となり、明日から2020年が始まりますが、カナダ紙『グローブ・アンド・メイル』に今から百年前の1920年代を振り返った「2020年代についての1920年代からの教え」と題する記事が掲載されています。

今年最後の投稿では、この記事に注目して、以下にその要点をまとめました。

ジャズと狂騒の1920年代、黄金の20年代

1920年代は、ジャズと狂騒の1920年代、ジャズ時代、フランス語でレザネ・フォール(狂気の年々)、ドイツ語でゴルデネ・ツワンツィガー(黄金の20年代)といった異名で呼ばれている。この時代は、若さ、富、名声が尊ばれ、新しい技術が人々の行動に変化をもたらし、超現代的な世界における生活感覚と活気あふれる雰囲気がもぐり酒場のラグタイムピアノの音色のように響き渡っていた十年間だった。

また、冷笑的な指導者が恐怖とウソを切り売りしながら自らの威光を高め、私腹を肥やす時代でもあった。この時代は、第一次世界大戦と1929年のウォール街大暴落という二つの破局的事態に挟まれ、先進世界の存続が危ぶまれ、抑制のない経済成長が欺瞞的で危険な状況を生み出す恐れがあることが明らかになった。

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新しいテクノロジーのインパクト

1920年代には、消費とそれを支えるクレジット(掛け売り)が一般庶民の生活の中心となり、特にアメリカでは戦争が、再建や賠償の必要がない形で好景気をもたらした。この時代の流行は、製造業の効率向上、可処分所得の増大、中産階級の余暇の発明によるところが大きかった。

また、新しい技術が日常生活のあらゆる側面に影響を与え、新しい産業に豊かさをもたらした例として、自動車の出現も挙げられる。当時、ヘンリー・フォード(現代のジェフ・ベゾスに相当)がT型フォードを開発した。その最初のモデルは1909年に市場に投入され、1914年に工場の組み立てラインで最初のエンジンが製造され、1,000台目の車が工場で生産された頃にはすでに、世界中の道路を走っている車の90%がフォード社製だった。自家用車の所有が当たり前になり、そのほとんどがクレジットによる分割払いだった。

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自動車関連産業の活況

このような新しい技術やシステムの普及にともなって、政策やインフラの開発も進んでいった。アスファルトの舗装道路や交通信号、ガソリンスタンドが都市計画に組み込まれ、ゴムや鋼鉄、ガラス、石油などの自動車関連産業が活況を呈した。そういう中で、油田を手中に収めたいという欲望が国際関係における重要な要因となり、その影響は今日でも中東で展開されている。

このような従来型の自動車のない世界がやってくるとは考えにくく、実際、私たちは1920年以来、従来型の自動車を全面的に採用して生きてきたわけだが、これからの数年間で電気自動車や自動運転車が普及していく中で、ひょっとしたら従来型の自動車がほぼ完全に姿を消すこともあるかもしれない。

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腐敗した政治スキャンダル

現代の消費者の発明によって経済が動いていく一方で、この時代、政治は自己満足と腐敗にまみれていた。現在のアメリカ大統領ドナルド・トランプは第29代大統領のウォーレン・ハーディングによく似ている。ハーディングは無知で個人的に弱みを抱えていたため、大統領という地位に悪評をもたらす結果になった。

共和党は大統領選挙期間中に特別な不正資金を使ってハーディングの複数の愛人を買収し、大統領に就任する前の時点で、すでに隠し子スキャンダルが発覚していた。ハーディングは大統領でありながら、閣僚が投機家から賄賂を受け取り、政府所有の土地を略奪したことに目をつぶった。

ただ、禁酒法を定めたのはハーディングではなく、その不名誉は議会に帰せられる。議会は1919年にハーディングの前任であるウッドロー・ウィルソンが拒否権を行使したのを無視してボルステッド法(酒精飲料の醸造,販売,運搬,輸出入を禁止した法律)を可決したが、ウィルソンはこの事態を大目に見た。

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錯覚の上に成り立っていた新たな富と新しい世界で繁栄を謳歌した移民

1920年代が禁酒法時代だったとすると、2020年代は合法化の十年になるだろうか? カンナビス(麻薬)合法化に関するカナダの実験がひょっとしたら、2020年代が終わる頃には世界的に当たり前のことになっているかもしれない。

1920年代に生み出された新たな富の多くは錯覚の上に成り立っていたのであり、急速な成長が持てる者と持たざる者との間にある溝を見えなくしていた。この時代に世界で最も繁栄していた国であるアメリカでは、まだウォール街の大暴落が起こる前でも、全世帯の3分の2以上の収入が社会的に認められた最低水準以下という経済状態だった。

その中でも、最もその影響を強く受けたのが移民だった。移民は本国では必要とされず、定住国では歓迎されていなかった。今日ではアフリカや中東からの移民が圧倒的な割合を占めているが、百年前には南東欧州からの移民が多く、その中でもカトリック教徒とユダヤ人が新しい世界で受け入れられ、繁栄を謳歌した。

また、近年では、公人が有権者へのアピールを狙って、愛国心や進歩を訴えるメッセージの根底に潜む人種差別意識をほとんど隠そうとしないことが時に見られる。1920年代に復活した(白人至上主義結社)クー・クラックス・クランがワシントンのペンシルベニア街を行進していた時、ドイツではアドルフ・ヒトラーが排外主義と優生学を取り混ぜた自身の思想を発酵させ、イタリアではベニート・ムッソリーニが黒シャツ隊の支持を受けて権力の座に就いていた。

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芸術や文化の開花

このように1920年代は政治的には暗い雰囲気が時代を覆う状況だったが、芸術や文化の分野では興奮を呼び起こす新たな状況が生まれ、多様性に寛容であることに加えて、以前は主流から排斥されていた人たちを賛美する世界が広がっていた。
(一風変わった雰囲気でそびえ立つニューヨークのクライスラービル、当時の偉大な詩や小説の世界に住むばらばらの自己、ジャズピアニスト、ファッツ・ウォーラーや歌手ベッシー・スミスの鳴り響く音色、独ワイマール共和国のキャバレー、シャネルの簡素な気品、チャーリー・チャップリンやグロリア・スワンソンが演出したハリウッドの絶頂期。)

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第一次世界大戦の荒廃で裏切られた若者たち

しかし、今から百年前を最も呼び起こす大きなテーマとは、高齢世代が若年世代を裏切ったという感覚が世に広まったことだ。つまり、1919年には、若者にまるで壊れた世界を引き継いだかのような思いを抱かせる第一次世界大戦の荒廃によって生み出された回顧的な幻滅が広がっていたのだ。

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