空港ポスト001 19/12/01~19/12/06

 ご投稿いただいた皆様、ありがとうございました。
 今回はご投稿いただいた歌を、作者を見ずに選をして、評を書きました。すべての歌に評は書いてます。上の方はいいと思った順に、途中からは投稿が来た順に並べます(切りかえるとこでわかるようにします)。マジで、やってることがふつうに歌会で、かなり楽しかったです。
 よろしくお願いします。

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水星がよく見える海の町に来てかつてあなたを殴った町だ
/坂中茱萸

「町」に付与しまくってて、これが「街」だったら味わいは大きく減っていただろうなと直感的に思いました。
「水星がよく見える海の町」でありなおかつ「かつてあなたを殴った町」である「町」は、その「あなた」のことも発話主体であるこのひとのことも知らない僕からしたら、「水星がよく見える」(らしい)「海の町」でしかない。そして、これはひとそれぞれだろうけど、「水星がよく見える」ことにもあんまり興味がない僕、としてはもはや「海の町」でしかない。ていうか水星って見えるんですか?肉眼で?(調べたら、見える、けど見つけにくい、らしいですね)
 こんなふうに付与されていたひとつひとつを、いや知らないですけど……とスルーしていけば、その「町」をどこの町にだってできる、な、と思いました。もちろん「海」は要る、から、どこの町にだって、とは厳密には言えないんですが。
 僕にとっては、海がある、だけの町。なんだけど、水星は肉眼で見えることを知っていて、それを(たぶん)見たくて、その町が水星がよく見える町であることも知っていて、かつてそこにいたことが(期間とか深さはわからないけどたぶん)あって、「あなた」もそのときそこにいて、なにかがあって、なにかがあって、「あなた」を殴って、そこを(たぶん)離れて、そしていま再びその町に来た、このひと、にとっては「水星がよく見える海の町」でありなおかつ「かつてあなたを殴った町」でもある。んだなと思いました。し、言葉にされていないさらなる無数の意味を付与しうる町、なんだなと思いました。
 僕はその「町」を、どこの町だとだって思える。どこの町にだってこのひとのような誰かさんがいて、僕の知らないその町のことを知っていて、そこにいる別の誰かとなにかをやっている。そのこと、を想えた、歌でした。
 海の町、へこれから僕は行くたびに、この町がこのひとのこの「町」なのかもしれない、と考えることになる。そのいっかいいっかいが正解でも間違いでもなくて、そうかもしれない、であり続けることが、僕の取り分だ、と感じます。

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人間の中だとわたしがいちばんだいじマヨネーズあたらしくして帰る
/野村日魚子

 この歌を

目がさめるだけでうれしい 人間がつくったものでは空港がすき
/雪舟えま

の本歌取り的に受け取るのは、投稿フォームの名前を含めて意識しすぎなのかもしれませんが、少なくとも一回、そう受け取りました。
「人間がつくったものでは空港がすき」の「え、なんで(そうなの&いまそれを)?」感の領域から見ると「人間の中だとわたしがいちばんだいじ」は「そうだよね」のところに動いていけすぎてて面白いです。そもそも「人間がつくったものでは」なにが「すき」?って話の、何その範囲?っていうわからなさ、が「人間の中だと」誰が「いちばんだいじ」?っていう、だいたい想定される回答のパターンが片手の指で数えきれそうな話、まで落とされたことで、ぐっとこっちに寄って来てて、(本歌取りなのだとしたら)本歌取りとして上手いなと思います。
「マヨネーズあたらしくして帰る」は、ライフスタイル次第だけど「わたし」のための行為ですよね基本的に。マヨネーズが切れたのか、切れそうなのか、もしくはそうでもないけどなんとなく新しくしたかったのか。「あたらしくして」る、ということを、これまで買ったことない種類(メーカーとかいろいろ)のをはじめて買ったということだと解釈しました。その水準での豊かさ、が「わたし」を「だいじ」にしていくってことに繋がるのかなと納得、できちゃい、ました。そういう結び方をしていっていいものなのか、とんでもない誤読をしているんじゃないか、とおそれながら、でも、一回は納得できちゃえた、ことがこの歌にとっての得なのか損なのかわからなくてこわくなってきますね……。
 なんかよくわからないけど素敵だ、みたいな方向性でファンを獲得していったと見られる本歌、から、なんかわかっちゃってそのささやかな豊かさが素敵だ、と思えるこの歌に移動してきた、のだと受け取ればそれは大きな成功だし獲得だと思います。
 本歌取りであるという読み筋を外して考え……ても、あまり僕に言えることは変わらないみたいなので、この記事でのこの歌の話はここで終わります。

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賞与額のなんかちがって走り出す機動戦士のようなガンダム
/御殿山みなみ

 すごくどうでもいいんですが、僕、今日、賞与支給日でした。口座のお金が増えてます。わーいですね。
「なんかちがって」ってほとんど具体的なことを言ってないんだけど、なんかわかりますね。多すぎるでも少なすぎるでもなくて「なんかちがって」。なんか、なんかちがうな~って気持ちをそのまま言っちゃってくれたから、そのままそれが伝わってきたんだと思います。
 あーわかる、ってわかってたら

走り出す

 走り出すのかよ。それはわかんねえわ。オフィスのなか、とは別に限らないけど、オフィスのなかで走り出してるひとを想像して、やめろよ危ないだろ、と思いましたね。室内で走り出されたら危ないので。
 危ねえだろ、って危ながってたら

機動戦士のようなガンダム

 ガンダムの話だったのかよ。いや、ガンダムの話【だった】のかわかんないけど。いま、ガンダムの話に、していく、のかよ。オフィスのなかで走ってるガンダム、思い浮かんじゃって、危ないどころじゃないですねこれ。まず入らないだろオフィスに。いや、違うんだろうけど、そういうことじゃないんだろうけど、一回思い浮かんじゃう、のが面白い。
 ていうか「のような」ってなんだ。ガンダムは機動戦士だろ。……を、思ってから、機動戦士ってなんだよ……となってきますね。いや、ほんと、機動戦士ってなんなんですか? よくわかんない言葉、使ってくるなよガンダムがよ。
 なんかもうバレてると思うので書いちゃいますが、歌の意味内容はよくわかってないです。よくわかってないというか、これってこういう話ですよね?を言えるところまで持っていけてないです。ただ、その状態でも十分に面白がれたのがこの歌で、この歌にここまで使ってきた時間が僕の取り分にそのままできるなと思って好きになれました。「機動戦士」と「ガンダム」のあいだに「のような」を入れるだけで「機動戦士」という言葉を何それ?な言葉にしていけるんだな、というのは応用の効く大発見だと思います。

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気づいたら山気づいたら谷おわりなんて波形にはないのなら
/やぎ座

 そう、なりますね……。はい、そうなります。
 という歌です。波形、(にもいろいろありますけど多分正弦波かな、)を歩いていくと「気づいたら山」で「気づいたら谷」になります。で、なにがおもしろいって、なんでこのひとナチュラルに波形を歩いてる目線なの?というところ。歩いていったら、たしかにそう、だけど、歩かないでしょ、波形。「おわりなんて波形にはないのなら」って、すごい真顔で言ってくるけど、いやそもそもおまえ誰なんだよ、とじわじわ面白くなってくる。波形を歩くひと目線の歌、ははじめて見ました。はじめて、にはそれだけで価値があると思います。
「きづいたら/やまきづいたら/たにおわり/なんてはけいに/はないのなら」という跨りまくりな韻律も「波形」的でいいと思います。音、って波ですもんね。

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想像の桃を剥いてる「お弁当温めますか」のあとの隙間に
/坂中茱萸

「剥いてる」なんですよね。現在形で。それがすごくおもしろさを生んでいる歌だと思います。つまり、そういう時間があった、ということを話してきている、のではなくて、この「隙間」その時間そのもののタイミングでこれを言ってきている、と受け取れるわけです。「隙間」を「隙間」のままこっちに渡してくる手つきのスピードに、そんなになのかよ、とうれしくなりました。
 お弁当、を買っているのはもちろん食べるため、だろうと思います。レジに持っていって「温めますか」と訊かれている、その「隙間」なんですよね。よく見たら、温めてもらっているあの時間ですらなくてもっとおもしろくなる。「はい」って言う前、の隙間なのかよ。しかも、お弁当食べる想像、を跳び越えて「桃」剥いちゃってるもんな。デザートじゃん。速い。とにかくなにもかもが速い歌、でそれがずっとおもしろかったです。

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(ここから、ご投稿いただいた順になります)(≒僕が「選んだ」歌はここまでです)

このときの「私」の気持ちを答えなさい。ただし、作者は童貞とする。
/酵母

「私」が、じゃなくて「作者」がなんですよね……ってことや、そういうこと言うなよ勝手に、の気持ちとか、掴んでいける部分はあるなと感じます。
 そのうえで、「童貞」という語をそこに置くだけでおもしろくなると思っていそうな感じへの腹立たしさや、問題文の形式を借りてきて→からの改造をしていなさすぎる点への何がしたいの?という嫌な疑問が勝りました。テストの問題文の形式を借りてきた歌、は過去にいくらもあって、そのたびに為されてきたこと更新されてきたことをこんな雑な形でリセットするおもしろ、なのかもしれないと仮定はできても、それに乗っかることはできませんでした。

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誘われてきた動物園いつまでもあさきゆめでは白黒パンダ
/パプリカ志村

 率直に、どう読んでいったらいいのかをうまく掴めない歌でした。
「誘われてきた」のは実際のことっぽいのに「あさきゆめでは」の話をしてる変さ、や、「白黒パンダ」の何が?さ、あたりにとっかかりを見いだせつつも、この歌はこういう歌でこういう面白さがあります、みたいなところに言葉を持っていけなかったのは僕の読みの力不足ゆえかもしれません。

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キーウィ、ぼくだって飛べるなら飛んでいた いまはみどりだけのキーウィ
/千仗千紘

「キーウィ」は飛べない鳥で、何種類かいるけど緑のもいる、という情報をさっきググって知りました(前者はまあ知ってましたが)。情報、がレイヤーのかなり上の方に来ている歌だと思います。その情報、ありきで読んでいったときの「ぼくだって飛べるなら飛んでいた」の「ぼく」の感情の位置が、相対的に低い、ような感じがします。

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大脳がヒトより大きい人類はみな自殺して絶滅しました。
/橋本牧人

 ディストピア系SFっぽい世界観、を一行で示そうとした歌なのかと思います。それに限らず、そういった世界観そのものを短歌にしていく、のではあれば、情報量を減らしていくこと、伝えないようにすること、でしか一冊の分厚い小説の同じもの、に代わる価値を持てないのだろうか……と考えたりします。
「ヒト」と「人類」を「大脳」で切り分けて、これはもしかしたら今この時代のことを言っているのかも知れない……と思えてくることのおもしろさが、短歌であることの速さや少なさ、を味方につけられていないように感じました。

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熱ですと報告をする君にするTLを見てるかは知らない
/みやや

 届かないかもしれない届くかもしれない、言葉をそういった場所へ、浮かせる、ことができるようになったのはインターネットとSNSの普及した昨今のこと、なのでしょうね。その発見を、見覚えあるような……とは思いつつもおもしろがれる歌でした。文字数が少しもったいないのかな、と思います。「TLを見てるかは知らない」のは、そりゃ一緒にいるとかじゃないなら知らないですよね、といったあたりの詰めの余地、が見えてしまう、のが惜しい、印象です。

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十年の月日が流れシャンシャンが中国へ帰っても僕らは
/みやや

 こちらも、情報、のレイヤーが上に来すぎている歌かなと思います。すみません、ググってもなぜかあんまりわかりやすい記述を見つけられなくて「十年」前のことがわかっていないのですが、内容としてはパンダの「シャンシャン」を中国に返還することになって、それで……の歌ですよね。この「僕らは」がなにを指しているのか心の底からわからなくてちょっと困ってしまいました。言いさしの、それまでもそれからもわからなくて、ここまでわからないと、もう、うーん、と唸ることしかでき……ないですね。

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匿名の通知でもいい 軽率に愛されたかった深夜二時過ぎ
/伊奈
 *半角スペースは作者指定

 SNSに関する歌、でしょうか。いいね、の通知かなのことかなと思いましたが、TwitterやFacebookであれば匿名、ではありませんよね。まあ、やろうと思えば限りなく匿名的に使えるのはそうなんですが。なんのこと、を言っているのかいまひとつ掴めませんでした。
 ぼんやりと、はわからなくないんですが、その話を聞いたこっちの取り分、を見出せなかった歌です。「軽率に愛されたかった」このひと、の姿が見えてこなくて、そうなるとそのことを短歌という形で告白されたことによるこちらの感情の動き、も出てこなくなるのかなと思います。

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ボンジョビのよさがわかったポジティブに部分入れ歯にしてみてもいいね
/綿死菊菜

 すみません、ボンジョビのことはあまり知りません。「ボンジョビ 入れ歯」でググっても特に見えてくるものがなかったので、たぶんここは直接的な関係のあることの話をしている、わけではないのだと思います。今までわからなかった良さがわかった→から、今まで避けてきたなにかに対してポジティブになっ「てみてもいいね」というテンションになる、のはわかります。わかって、いいですね、いいんじゃないですか、と思ったところで感情の動きが終わりました。「ボンジョビ」と「部分入れ歯」が一首の中に同居していること、がおもしろいのかもなとは思いましたが、残念ながらボンジョビのことを僕はあまり知りません。

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やまいだれの冬をさらった感情を君に抱かれる時思い出す
/満島せしん

「疼」のこと、でいいんでしょうか。「さらった」の指すことが掴めなくて確証が持てないのですが。
 巧妙な言葉遊びを短歌に入れ込むことによって、その短歌は「狂気」の評価軸からおのずと遠く離れていくことになるんだな……ということをたまに考えています。「狂気」のゾーンに入った者が、言葉遊び、できないと思うんですよね。もちろん様々な場合分けはそこから必要になってくるんですが、ベースとしてそういう考えはあって。
 この歌を言葉遊び(文字遊び)の組み込まれた歌、として読んでいくと、そうであることによって得たもの、以上に失ったものが大きいように感じました。「思い出す」の前に、言葉遊びをしているこのひとの意識、が挟まってくることが歌の核からの距離を読者に取らせてしまった、感じでしょうか。

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 以上、十四首ものご投稿、まことにありがとうございました。

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 第2回、こちらにご投稿ください。「終わったな」と思った出来事は任意でご記載ください。
 よろしくお願いします。

平出奔
Twitter:@Hiraide_Hon
Mail:hiraidehon@gmail.com

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