空港ポスト002 19/12/09~19/12/11

 ご投稿いただいた皆様、ありがとうございました。
 今回も前回同様、ご投稿いただいた歌を作者を見ずに選をして、評を書きました。すべての歌に評は書いてます。上の方はいいと思った順に、途中からは投稿が来た順に並べます(切りかえるとこでわかるようにします)。
 また、最近の「終わったな」と思った出来事についてもおしえてくださりありがとうございました。好きだったものを最後に公開します。
 よろしくお願いします。

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迎えに来て、迎えに来てよ 芦田愛菜さんの声で傘が呼んでいる
/田村穂隆

 短歌を読んでいると、ときどき、文字列として読んでいたそれが突然「声」に切り替わることがありますよね。それは作者の声を知っている場合に起こるパターンもありますが、この歌のように、歌の側からキャスティングされた「声」が聞こえてくることもあります。
 たとえば漫画やアニメの実写作品化においてはそのキャスティングが重要で、演者が役にハマらず目も当てられない出来になってしまうこと、ありますね。では、この歌はどうか。
 このキャスティングはいわば、しなくてもいいそれ、ですよね。「迎えに来て、迎えに来てよ」と「傘が呼んでいる」だけの歌だったとしても、じゅうぶんに【読める】歌だったと思います。むしろ「芦田愛菜さんの声で」分の文字数でなにか他に言えたことが、あっちにはあったはずだと思うんです。だけどこの歌は「傘」役の声優として「芦田愛菜さん」をキャスティングすることを選んだ。広く知られた、いわゆる国民的女優のひとりです。そのひとの「声」を指定する意味とはなんだったのか。
 ここで歌の意味内容に立ち返ります。傘を忘れて失くすひとって多いですね。雨の予報だったから持って行ったのに振らなくて、どこか建物から出るときにその入り口の傘立てに置いていた傘を忘れたり。持ち主が取りに戻らなければ、その傘はそこに忘れられっぱなしになります。もちろん、やがてその場所の管理者とかが処分なりするのでしょうが。でも、その場所に忘れられっぱなしになる時間、は多少なり必ずあるわけです。それらの傘が「迎えに来て、迎えに来てよ」と持ち主を呼ぶように声を挙げている、という歌。そして、その声が「芦田愛菜さん」の声である、という歌。
 そういう傘、ってたくさんあると思うんですよね。もしそれらすべてが「声」を持ってそれを挙げたとしたら、もう、あちらこちらから聞こえてくるんじゃないか。そう思うと、なんだかテレビで「マルモリ」だの「チキンラーメン」だので、あの時期日本中のテレビを席捲していたと言っても過言ではない「芦田愛菜さんの声」がたしかに重なってくる、ような気がします。他にも該当する人物はいそうですが、おそらくこの歌を読むほぼ誰しもが再生できて、それがどこから聞こえてきたっていい、声、は「芦田愛菜さんの声」であることがベストなのではないかと、納得しました。……などと言いつつ、実は僕はあんまりはっきりと芦田愛菜さんの声を認識できていません。でも、あんな感じの声、だよね、と思えるあんな感じ、のところで再生させられる、やっぱりベストキャスティングだと思います。
 と、まで考えてからこの歌を読みなおすと、完全に「迎えに来て、迎えに来てよ」がもう、その声、でしか再生されなくなる。はじめ、一回だけ「芦田愛菜さんの声」という情報なしで読んだ、はず、なのに、そのときの感じ、をどうしても思い出せないんです。もしかしたらはじめから、この声、だったのかもしれませんね……。

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あなたがたの生活に関係のない嘘をつきたい 各停が来る
/小泉夜雨

 逆に言えば「あなたがたの生活に関係の」ある「嘘を」つける、のか、と第一印象で思えたところが一番好きな歌でした。むしろなんか、ふつうにしてたら「関係のある嘘」になっちゃうのかな、という印象が「つきたい」の言い回しから抱けてきて、まあそんなことないんでしょうけど、おもしろかったです。お前は何者なんだよ、っていう。
 で、その「あなたがたの生活に関係のない嘘」がなにかって、「各停が来る」。ここでもう色々思えちゃって、関係あるかもしれないだろとか、嘘なのかそれ?とか。そう、これが「嘘」なのかわからないんですよね。「嘘をつきたい」から一字あけで言ってくるから「嘘」だと思っちゃうだけで。というか、これっていったいどこの誰にとっての「嘘」のつもりなんでしょうか。たとえば、この歌を駅で読んでるひとがいたとして、その駅にそのタイミングで「各停が来」ちゃったら、ある意味それは本当のことになりますよね。「あなたがた」の指し先のわからなさもポイントで、この「あなたがた」という文字列を読んでいる「あなたがた」なのかなというのが妥当かと思うんですが、じゃあそうするとさっき言ったような「嘘」のつもりの言葉が本当のことになってしまう場合もあるかもしれない。このひとは、どこまで考えて「各停が来る」と言ったんでしょうか。
 嘘かもしれない、本当かもしれない、誰に言っているのかもよくはわからない、そんな言葉の浮動、を楽しめたと言えば楽しめたのが結局のところこの歌についての一番で、きっとそれが僕の取り分なんだろうなと思います。

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そうじゃない世界なのかよマフラーが漫画みたいにたなびいていた
/安錠ほとり

 この「なのかよ」はいろんな意味を想定できる「なのかよ」で、この歌の向こう側、このひとの眼に映っているその景色、の意味合い、もまたいろんな想定がしうる、なと思いました。
「そうじゃない世界」の前に「そうである世界」があるはずで、それがなんなのかというと、この歌からはさっぱり推察できないんですね。でも、たしかにこのひとの中にその概念はあった、わけです。「そうじゃない世界なのかよ」の気持ちを、僕はまったく理解することができない、このことがなぜかこんなにもうれしい、のはきっと、この言葉がこのひとだけのための言葉のまま駆動されていて、そのままでこっちに手渡してくるでもなく届けてきてくれた、からなんだと思います。
「マフラーが漫画みたいにたなびいていた」その光景にこのひとはこのひとだけの気持ちを抱いて、僕は僕でその光景を思い浮かべてなにかを想える、このひと、と、僕、の関係性においての、ひとつの理想を見出せたような気がします。

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指先をそこに留めて眠りいる人の画面で動くどうぶつ
/みやや

「動くどうぶつ」ってすごいな、という第一印象でした。動物は動くから動物なんでしょ。
 この歌は、その認識を揺さぶる、ことに成功した歌だと思います。この歌では「人」が眠っていて(ほぼ)動かない状態にある、一方で「どうぶつ」は動いている、けどそれは画面の中の映像としての動きで、この「人」が動き出したら「指先」ひとつで動かない状態にされてしまうかもしれない、し、放っておけば動画時間が終了を迎えておのずと動かなくなってしまうかもしれない、でも、この時間の、動いている「どうぶつ」はたしかに「どうぶつ」なんだ、ということを想いました。
「人」と「どうぶつ」の対比とか、表記とか、切り取り方とか、技術的な【上手さ】を存分に感じつつ、読者としてこの歌について喋りたくなるのはそういうことじゃなくて、この「どうぶつ」のこと、だったのが勝手にうれしかった、歌です。

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(ここから、ご投稿いただいた順になります)(≒僕が「選んだ」歌はここまでです)

キューバから帰った友がもってきた箱が案外スコッと開く
/橋本牧人

 なにが「案外」なんだよ→キューバをなんだと思ってんの?となるのが面白い歌なんだと思います。それが面白い、ことをわかってないとこういう歌にはならない、ですよね。ほぼ日常的なコミュニケーションのレベルで「案外」でもなんでもないことを「案外」と言っちゃうおもしろ、があるのはわかるうえで、短歌でやられるそのノリを読者としての僕は楽しめなかったかな……という感じです。会話、なのであればその意図をすぐに見抜いてすぐに「なにがだよ!」って言える僕の取り分はあるんですけど。

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あっ今の「これくらい」ってした仕草 遺骨を抱いた時に似ていた
/雪本朱音

「あっ」を言われたら「なに?」ってなりますよねこっちは(発話するにせよしないにせよ)。この歌は、その「なに?」のまま待っていられる時間をオーバーしてしまっているのではないかと思いました。
 会話なのであれば、このひとが言うのは「あっ今の」か、せいぜい「あっ今の仕草」なんですよね、たぶん。そしてその長さが、そのまま「なに?」の許容時間なんじゃないかという気がします。「「これくらい」ってした」は、短歌として言いたいことを提示していくうえで最低限の説明として、付け加えられた、ものだという印象です。その余剰分によってこちらの話を聞く集中力は途切れてしまったのかなと思います。仮に僕がその部分を乗り越えられていたとして、その先の一字空けを耐えていた可能性は低い、と見ています。

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コンビニで秘密の番号を打ち込んで見知らぬ誰かの羽を受け取る
/なな

 この歌はどうしても、ネットプリントのことを言ってる、んだろうな、きっと、というところから先へと進めることができなかった歌です。
 コンビニで番号を打ち込む、というのは短歌に興味があってTwitterやってる僕(や画面の向こうのあなた)には割と日常的な行為で、でも冷静に考えたらそれってけっこう不思議だよね、ということを言ってきているのかなと思ったのですが、「秘密の番号」「誰かの羽」あたりの言い回しが引っかかって取り切れませんでした。Twitterで宣伝してるのを「秘密の」とは言わないような気がしますし、短歌作品等が載った紙を「羽」と喩えるのはわかるけど陳腐な感じで逆になさそうだと思いました。
 そう、かなと思ったけど、そう、なのであればあまり面白くなくて、そう、でないのだとしたら本当にもうわからない。というところでこの歌からの僕の感情の動きは止まりました。

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この犬にだいすきな歌ぶつけようどうぶつのさいごはみーーーーーーーーんな骨
/野村日魚子

 この歌のポイントって「どうぶつのさいごはみーーーーーーーーんな骨」の「みーーーーーーーーんな」にノレるかどうか……に見せかけられるけど、実は「この犬」にノレるかどうか、なんじゃないかと思います。どの犬?って返せてしまえばそれで、それ以降の文字数とは距離を取ってしまえるな、と感じました。「ぶつけよう」にYeah!!!となる、よりかは、あなたがそうしたいならそうしてください……のテンションになって、遠くから「みーーーーーーーーんな骨」と歌うそのひと、を見ていられてしまった、感じです。

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いいけれど生まれに嘘をつくことは底なし沼の底にしつれい
/御殿山みなみ

「底なし沼」を「底なし沼」たらしめているのは、「底」がないこと、なんですよね。ひとつ再確認ができました。この歌はちょっと意味内容を読み取りに行くのが難しかったし結局よくわかってないのですが。でもたぶん、そういうことを言ってるのかなと思います。しかし、「生まれに嘘をつくこと」がそのひとをそのひとたらしめるなにかに対して「しつれい」ということなのかと読んでいくと、どうもしっくりきません。やっぱり難しい、歌ですね。
 初手で「いいけれど」と許してくるのおもしろいな、と思いました。ただ、なにが許されたのか、がわからなくて取り切れませんでした。

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なりたいと言えばよかった一等星ひとつでひかるみなみのうお座
/千仗千紘

 天体に詳しくなくて、この歌を読んで「うお座」で検索して、それには一等星がないと書いてあって、あれっと思い「うお座 一等星」で検索したら「みなみのうお座」が出てきて、こんなのあるんだ~、となりました。
 この歌は、知識情報のために費やした文字数が多すぎるのかな、という印象です。「なりたいと言えばよかった」の背景、それを思うこのひと、のところから、知識情報のための文字数分の遠ざかっていってしまった、気がします。

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目が覚めて初雪を知る加湿器のある部屋の厳かな温もり
/みやや

「厳かな温もり」ってどんなだろうと思って、「加湿器」「初雪」を手がかりに考えてみたんですけど、ちょっとしっくりくるものが見つかりませんでした。「厳かな」ってなかなか思わないですよね。描かれている情景自体には不思議さはそんなにないんですけど、「厳かな」って言葉ひとつで一気に変な雰囲気が漂いはじめるのがおもしろかったです。ただ、やっぱり意味内容の取り切れなさが難しくて、それを押し切るほどの魅力は感じませんでした……というのが率直なところです。

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死に目にはあえぬようにと爪を切る 午前零時の仄暗い夜
/神戸諒

 夜に爪を切ると親の死に目にあえない……という言い伝えがありますね。それを素直に信じている、のかはわかりませんが、ともかくそれに基づいて、このひとはあえて夜に爪を切っている、んですね。はい。
 の、はい。で、もうこの歌について僕が思ったことは全て言い切れたと思います。ただの夜でなく「午前零時」であることや、親の死に目に会いたくないのであろうこのひとの背景、に、興味の湧きようがない、と言いますか。強いて言葉を付け足すのであれば、わかりますよ、ですかね。

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これからの二人に二人のこれからを贈る言葉を贈る おめでとう
/中本速

「おめでとう」だけでよくないですか?というのは身も蓋もなさすぎますが、本来言いたいことが「おめでとう」であるのだとして、それまでの【前置き】部分ので語られている内容は、もともと「おめでとう」に内包されているのではないか、という気がします。
 この【前置き】が必要になるとしたらそれは、贈られる側へのなにかというよりは、贈る側のためのなにか、準備とか、になるのかなと思います。それをするにあたって短歌という詩形を借りる意味、はあるのかもしれませんが、どこまでも贈る側のための文字数であるそれ、に僕は感じ入るところがなかったです。

 ○ ○ ○

とかいとかいたのしいけれどたかいたかいされてたときのほうがよかった
/雨月茄子春

「よかった」んですか、そうですか、そうなんですね……。くらいにしか感情が動かなくて、それはたぶん歌の側の動きもそれくらいしかないからなのかなと思います。「たかいたかい」をもじった「とかいとかい」(都会都会、ですよね)の楽しさ、が「たのしいけれど」という供述だけでは受け取れませんでしたし、「たかいたかい」の良さも「よかった」という供述だけでは受け取れません、でした。

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明け方のうすい眠りの中で会う君はいつでもへんなTシャツ
/岡田奈紀佐

 夢の話はおもしろくない、とよく言いますよね。それを聞くたび、そうかなあ?と僕はいつも思っているんですが、この歌に関しては、たしかにおもしろくないな、と思いました。「君」のことを知らないこちら側、までその「君」像が見えてこなくて、そのひとが「へんなTシャツ」を着ている、ことに感情を動かせなかった、というのが率直なところです。「君」像を描き出すための文字数がほとんどない、一方で「明け方のうすい眠りの中で会う」とたっぷり文字数が費やされたことで、歌の核が見えなくなってしまったのかなと思います。

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真心だなあ マフラーが柳の腕にかかって風にずっと吹かれる
/今村亜衣莉

 その情景からの「真心だなあ」感には思い切りノれつつ、わかっちゃえたゆえの広がらなさというか、もっとあるのではないか、みたいな気がして、「真心だなあ」と言い切られていることで失われたもののことを考えてしまいました。けっこうすごいことを言ってもらえたんだと、は、思うのですが。

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海の無い町の乾物屋で泳ぐえぼ鯛くらいドライに生きる
/さかなかな

「くらい」が「くらい」として機能していない、のがおもしろい歌だと思います。その「えぼ鯛」は別に「ドライに生き」てないと思うんですよね。このひとは何をそんなに「えぼ鯛」に見出してるんだろう、というところのよくわからなさ、が良いと思います。その考えはこのひとのもので、それがこっちにはよくわからなくても、このひとはそんなこと関係なくそれを表明できる、わけです。
 ただ、「海の無い町の乾物屋」に見られる作者の手つきというか、意識してみるとちょっと不思議なもの、として提示されてる感じだと思うんですが、それがわかっちゃえた、気がするのが、先述のわからなさという魅力と相殺してしまってる形になっているのかなと思います。

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死のように優しいだけのこの街でささくれを剥く、人であるため
/梔子

「死のように優しい」って、たぶん感覚として流通しすぎていて、そこからはじめるとしたら、よっぽどのこと、につながっていかないと、短歌としての魅力は減じてしまうんじゃないかな、と思いました。
 で、この歌がその、よっぽどのこと、を言っているかというと……ですね。「ささくれ」は生きていくうえで発生してくるもの、で、それを剥く行為も生きていく動き、なんですよね。やっぱりそれも流通済みの描写、なのかなと思います。

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同窓の友の葬儀を終えて夜水の飲み方分からなくなる
/斎藤秀雄

 そうなってしまいそうな感じ、はわかるしそれを良いと思いつつ、既視感というか、(短歌に限らず)もうどこかで為された表現であってなおかつそこからの更新もこの歌にはないのかな、という気がしました。
 水を飲む、というこのうえなく生きている行為、を亡くなった「友」と対比している構図、がわかりやすすぎるのかな、と思います。

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【任意回答】最近の「終わったな」と思った出来事をおしえてください。好きだったものは公開させていただきます(公開は嫌だという場合はその旨ご注記ください)。嘘、創作、虚構、いずれもかまいませんが、ご投稿にあたっては事実という体でお願いします。複数回答してくださって構いません。   【例】このまえ漫画喫茶に泊まったとき膨大な数の漫画が並んでいるのを眺めていって、いちばん心が動いたのが「これ、よく知らないけどなんかネットですげー馬鹿にされてたな」って手に取ったときので、それがその夜の最大だった。(あとで調べてみたらその漫画の問題点指摘wikiサイトが存在した)

 ご回答ありがとうございました。好きだった回答を公開します。

むずかしくて知らない植物を知ったかぶりしたら、知ったかぶりだろってバレて、とっさに「漢検一級の勉強したときに難読漢字で出てきたんですよ〜」って言い訳をしてしまって、すごく、すごく腑に落ちられた
(御殿山みなみさん)
明太子パスタを1から作った時に、完成品と部品の明太子の味が同じ事に気づいて、魚卵嫌いをアイデンティティに出来なくなったとき。
(今村亜衣莉さん)
残業と休日出勤で疲れすぎて、大好きなアイドル育成スマートフォンゲームのイベントストーリーが回収できなかった。のでネタバレ感想を探し回り読み漁っている自分をふと客観視した時。
(田村穂隆さん)
のんでいた焼酎がうっかり盆栽の鉢にこぼれちゃったこと(ちょっとだけ)
(小泉夜雨さん)
「意見等があれば連絡ください」という記載を信じて意見したら罵倒された。
(岡田奈紀佐さん)
目薬さそうかなーって思ったんですよ。そしたらそれが瞬間接着剤で。いてててーって。眼を洗わなきゃーって、風呂場に駆け込んで。蛇口ひねったんですよ。片目閉じながら。そしたらシャワーになってて。しかも熱湯で。ビシャーって、後頭部に。熱湯が。あちちちーって。あぷいあぷいって、往年の鶴太郎のリアクションで。冷やさなきゃーっつって。窓ガラッと開けて。顔を外に出したらちょうど上から一枚のガラスがスーンと落ちてきて。額からあごにかけて抜けて。顔の前半分をスカッと切って。だからいま顔がないんですよ。
(斎藤秀雄さん)

 御殿山さん、この話にこういう形で他者が現れてきたのは御殿山さんだけだったと思います。今村さん、もともとそんなことアイデンティティにしてたことにウケました。田村さん、お疲れ様です……。小泉さん、ちょっとだけならだいじょうぶじゃないですか? 岡田さん、よく考えたら罵倒しないとはどこにも書いてないですね。斎藤さん、主旨が違いすぎるんですがめちゃめちゃ笑いました。

 以上、十九首の短歌と十五件の「終わったな」な出来事のご投稿、まことにありがとうございました。

 第3回、こちらにご投稿ください。今回とすべて同じです。「終わったな」と思った出来事は任意でご記載ください。12/25(水)に〆ます。
 よろしくお願いします。

平出奔
Twitter:@Hiraide_Hon
Mail:hiraidehon@gmail.com

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