空港ポスト003-前編 19/12/17~19/12/25

 ご投稿いただいた皆様、ありがとうございました。
 今回も前々回・前回と同様、ご投稿いただいた歌を作者を見ずに選をして、評を書きました。すべての歌に評は書いてます。上の方はいいと思った順に、途中からは投稿が来た順に並べます(切りかえるとこでわかるようにします)。
 また、最近の「終わったな」と思った出来事についてもおしえてくださりありがとうございました。好きだったものを最後に公開します。
 よろしくお願いします。

(すみません、さいきん時間があまり取れずまだすべての歌に評書けてないんですが、これ以上お待たせするのは申し訳ないので、一旦途中で公開します。今回取り上げていない歌に評を書いた記事を、後日別途で投稿しますので、いましばらくおまちください。)

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おしっこの湯気をかぐときあんしんが あんしんがあって、 いやそうでもないか
/野村日魚子

  Bを言うためのAを開陳したけど、よく考えたらBは偽であり、結果Aを開陳しただけになった、の構図、喋んの下手で良いなと思いました。いる、し、ていうか僕じゃん、ってなりました。
 二度の「あんしんが」のリフレインが、考えているリアルタイムの逡巡にも見えるし、言いなおすことでたしかめようとしているようにも見えるし、単なるおぼつかさなにも見える。そのいずれもが、そう、なんじゃないかと思いました。繰り返すこと、によって生じうるあらゆるニュアンスを広く内包することでこの歌は、同じことを言う文字数分の【損】をはるかに上回る【得】を手に入れている、ように感じます。
 読点や一字空けを用いることによって、その両方を用いることによって、のみ現れる「、 」の間、から、それまでの話が一気に否定される、ほぼ無音の「いや」があって、このスピードのコントロールに惹かれました。現実の、逡巡の、本当の、スピード。速さだけを獲得した短歌も遅さだけを獲得した短歌も見てきて、だけどこの解像度で描かれるスピードそのもの、は、見たことがありませんでした。そのスピードを持ってして辿り着いた先で、僕にわかるのは、このひとがおしっこの湯気を嗅いだこと、だけであるという異様なまでの贅沢さを、僕の取り分としてありがたく頂戴しようと思います。

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指の腹で挟んで鼻を温める むっちゃ遠くで電話、鳴ってる
/中本速

 嗅覚を制限することで聴覚がやや鋭敏になった、ときの歌と読みました。
 それが目的だったわけではなく、だけど見つけることのできた【それ】に、探して見つけ出した【これ】を越えるうれしさがあったりする……ことを思いました。鼻を温めたくて「鼻を温める」、その途中で、そうしていなければ聞こえなかったのであろう「むっちゃ遠く」の「電話」の呼び鈴が聞こえてきたこと、(を示唆的に暗喩的に読み過ぎるのはかえって歌の魅力を損ないそうな気がするのであえて避けますが、)は、別にうれしいことじゃなくて、ただの事実で、この歌でほんとうにうれしいのは「むっちゃ」というこのひとのこの声が、漏れ聞こえてきた、ことなんだと感じます。すこしだけふつうでないことをするようなそのときに、予期せぬ情報を検知したこのひとが、うっかり、出した声であるように聞こえ、ました。
 そのうっかりにこのひとは気付くのか気付かないのか。気付いたなら、こっちをちらりと見てなにを言ってくるのか。気付かなかったとしたら、僕は、このうれしさをこのひとにどう伝えようか……。と、そう、なったあとのたっぷりとした余白時間までもが、ある、のだと思える歌でした。

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「知られざる縄文ライフ」を渡されて読む 髪色が金となる間に
/坂中茱萸

 情報、としてこの文字列を受け取ったとき、僕が聞きたくなるのは間違いなく「知られざる縄文ライフ」の話で、なのにこの歌が教えてくれるのは「髪色が金とな」ったことで、それは見ればわかることで、そんな齟齬がおもしろい歌でした。
 思えばこれってかなり【現実】なんですよね……。美容室で、変な雑誌読んでるひとがいて、それが順番待ちの僕の目にうつって、気になって気になって、でも僕が見ていてわかるのはそのひとの「髪色が金とな」っていく様子だけである……といった現実のワンシーンが、せっかく【このひと】の目線で語られる【短歌】なのに、同じように再現される。
 待つ、ことしかできない。美容室に置いてある雑誌なら、自分の順番のときにそれを読むことができるかもしれない。ただの待ち時間が、あれ俺も読んでみよう、と思っていられる時間になる。じゃあこの歌を読んだ僕は?というと、いつの日かどこかで「知られざる縄文ライフ」に出会えるまでが、そのまま美容室での待ち時間と同質になる。あれを、俺も、やろう。と思っていられる、これから、これまで、に少しのわくわくを付け足す、そんな歌として、成功しているんじゃないでしょうか。

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これ絶対美味しいやつと言う人の眼に映るウサギとカメよ
/ニコ
*眼(まなこ)

 やばい奴いるな、って思って遠巻きに眺めてたけどよくよく見れば別にやばくないなこいつ、ってなった感情の動きが面白かったです。ウサギもカメも、別に食える。僕は食べたことないけど、まあ、文化圏によってはごく普通に食うものですよね。つまり「ウサギとカメ」を眼に映しながら「これ絶対美味しいやつ」と発話するのは、変じゃない、可能性がおおいにあるわけです。この歌が見せてくれたのは、「ウサギとカメ」を「絶対美味しいやつ」として受け止めるそのひと、というよりは、そのひとを一回やばい奴として認識する僕、でした。一回、自分の常識で測ってしまう、その【しまう】を見せつけられてしまって、悔しかったです。(ただ、その【しまう】の見せ方という手法自体は、もう飽和しかけているのかな……とも思わなくはなかったです)

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君の右手と僕の左手、そして田中の右手を重ねエイエイオーだ
/佐藤翔

 知らない奴がいつの間にかしれっといる/急にしれっと出てくる、のおもしろ、って既にひとつのスタンダードとして【登録済】なのかな……ということを思いました。間違いなく、ここで急に出てくる「田中」はおもしろいし、そのまま「エイエイオー」しちゃうのかよ とツッコみを入れられる僕の取り分、は確かに感じつつ、でもこれは見たことがあるな……という醒めも同時にありました。見たことのないものを見たくて短歌読んでる自分、を再確認しつつ、これを今までに見せてくれたものたちへの想いのほうが、いま目の前にしているこの歌へのそれを上回ってしまった気がします。「そして」が却って、急さを減じてしまっているのかな。そういうおもしろの出し方、をわかってやるのであれば、その手つきを僕(読者)は見たくない、と思います。

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 ありがとうございました。ここまでが、今回の僕の【選んだ】歌になります。続きはまた後日投稿しますので、いましばらくお待ちください。
 よろしくお願いいたします。

平出奔
Twitter:@Hiraide_Hon
Mail:hiraidehon@gmail.com

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