空港ポスト003-後編6 19/12/17~19/12/25

 続きです。
 よろしくお願いいたします。

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隊列を成して歩いていく蟻の外れた蟻を追う蟻が俺
/千仗千紘

 その構図を俯瞰できている、うえで、そう、なるのか……という第一印象でした。
 列を成す蟻たちがいて、それから外れた蟻がいて、その外れた蟻に着いていく蟻がいる、の構図を暗喩的に読んでいく……のは、なんというか、可能過ぎて、ちょっと尻込みしてしまう時間がありました。新たな道を拓くその一人目はかっこいい、という価値観がある。でも、それに着いていくだけの二人目以降はかっこよくない、かもしれない。という価値観も、ある……なかで、その二人目以降としての自分を俯瞰できている、わけですよね。その俯瞰ができているうえで、「俺」を別に自己批判はしていない感じが「追う」の言い方から滲み出ているように思えておもしろかったです。「着いていく」のではなく「追」っているんだというプライドがあって、なんならそれは追い抜く気があるときの言葉、なんですよね。

(作者名と「その他メッセージ」を見て、追記:千仗さん、ありがとうございます。励みになります。今後ともぜひよろしくお願いいたします。)

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たんぽぽをぽぽんたと呼ぶ犬がいて彼の世界はひどくやさしい
/雨月茄子春

 またちょっと別の歌を思い出したんですが、

たんぽぽがたんぽるぽるになったよう姓が変わったあとの世界は
/雪舟えま『たんぽるぽる』

「たんぽぽ」の言い換え、と、「世界」の認識、の二要素くらいで思い出しちゃう側もどうかというのはあるんですが、とにかく、思い出しました。
 雪舟さんの歌が「たんぽるぽる」側の世界がどんな世界であるのか、を実質的に読者に委ねてきている……ように読める……のに対し、ご投稿いただいた歌は「ぽぽんた」側の世界を「ひどくやさしい」ものとして差し出してきているところがまず目につきます。委ねる/差し出す、自体のよしあしの話はいったん置いておいて、「ひどくやさしい」世界ってなんなんだろう、と思うんですよね……。この差し出し方をされると、その根拠を「ぽぽんた」に探しにいってしまうんですが、そこがよくわからない……となったところで、歌の言葉自体を信用できなくなっていく、ような動きがありました。

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 引き続きゆっくりやっていきます。
 よろしくお願いいたします。

平出奔
Twitter:@Hiraide_Hon
Mail:hiraidehon@gmail.com

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