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終活を思ったとき、頭の隅にあるもの

いつか片付けなくては!と頭の隅にあるものの1つに、着物の端切れがある。
なぜ着物の端切れが?と長い話になってしまうけれど。

二十歳の頃から、花嫁修業の1つで、お茶とお花の稽古を始めた。その頃はそれが当たり前のことだと思っていた。
主人と結婚することになって、主人の親戚の家に行くと、お茶室に通されて、そこでご挨拶をしたのだが、お点前を頂くときも、じっと観察をされているようで、稽古とは違ってドキドキしたことを覚えている。
他の親戚でも、訪ねるとお茶を点てて振る舞われ、お茶が思っていたよりも、身近なものだと知った。

結婚してしばらくお茶の稽古から離れていたが、子供達が4、5歳になった頃に、再び稽古を始めた。
先生は、ご近所の大きなお屋敷の奥様で、日頃、バタバタと暮らしているので、稽古日は、清く整えられたお茶室で静かな時を過ごすのは、とても気持ちの落ち着くことだった。
時々、先生に連れられて着物を着て大寄せのお茶会に行った。

今の家に越してきて、こちらでも、素晴らしい先生に出会った。普段のお稽古はもちろん、お茶事など全て本格的にきちんとされる先生の元で、貴重な勉強と経験をさせて頂いた。

お稽古には皆さん着物で行かれるので、私も倣って着物を着ていくようになった。そんなわけで、着物を着る機会もたくさんあって、せめて、長襦袢だけでも縫えたら良いなぁと思っていた。そんなとき、お茶の仲間の人が和裁の先生を探してきてくれて、グループを作ってくれた。
7、8人のグループで、教室はお弁当持ちで、それぞれの家を持ち回りして、おしゃべりをしながらワイワイと楽しく習った。
自分の家が当番の前日は、家中をきれいに片付けるので、家族のものに、明日は何があるの?とよく聞かれたっけ。
この教室で、肌襦袢、長襦袢、浴衣、単衣、袷と縫えるようになっていった。

そんな年数が結構続いたと思う。
そして、高齢だったお茶の先生が亡くなられてしまい、これからどうされますか?と問われ、これを機にお茶の世界から離れることにした。
仲間の人は、自分で教室を持って教えている人が多くて、素敵な方ばかりだったので、離れるのは寂しかったけど、なんとなくもうこれで充分かなと思って、次の先生につくのはお断りさせていただいた。

それに、私の興味は着物から、染め織りに向かっていたこともある。
特に草木染に興味があった。
このときも教えても良いという先生に巡り会って、糸や布を染め、裂き織りから始めて、反物を織った。

でも、機織りは大きな音がするので、おばあさんに気が引けて、家では長くは続けられなかった。
それでもいつか!と思って機を残しておいて、もう一度やろうと思ってみた時には、根気が続かなくて、機を欲しいという所に寄付をしてしまった。
そんなわけで、今残っているのは着物地の端切れだけ。
裂き織りを始めた時、その話をしたら、友達がもう着なくなった着物を届けてくれたりして、
それらを解いて洗ってある表の布、裏地の八掛けの布、使い残しの生地などがたくさんある。

私がいなくなったら、子供達が片付けてくれるとは思うけど、今、私が自分で捨ててしまうにはちょっとためらわれて、何とかならないかなと思い、時々出して見ては、またしまっている。

人から見たらなんの価値もないもの。
捨ててしまえば簡単なこと。
でも、なにか使い道のアイディアが浮かばないだろうか、やる気があるうちに何とかしたいという思いが、最近、頭の隅からどんどん表に出てきた。
人に見せるための物を作りたいわけではなく、
その生地たちと自分が、楽しい時間を過ごし、その生地たちの命を全うしてやりたい。そんな気持ちなのだ。

端切れをかまう前に、着物を片付けたほうが良いのかもしれないけど、好きな着物は見ているだけで楽しいので、そのままにしておこうと思っている。
私が亡くなったあとどう処分されようとかまわない。
どんな好きなものでも、死んでいくときは何も持っていけないのだ。
一人でいくしかないのだ。
だからこそ、生きている毎日を楽しく暮らしたいし、なるべく元気でいたいものだと思う。

終活という言葉がだんだん身近になってきて、私もそんな " お年頃 " になってきたことを感じます。




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