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スペイン巡礼の旅 ㉓ 2018.6.11
サアグーン 〜 エル•ブルゴ• ラネーロ 18.01km ( 合計 431.85km )
この門を通って街を出る。
今日は晴れそう。
こんな道が今日も続く。
今日は、天気も良いし、歩く距離が少ないので、何となくのんびりした気分。
時々、Nさんと一緒になって、しばらく、何を話すでもなく並んだり、前後して歩く。
何日か一緒に歩いたり、食事をして、気心が知れてきたせいか、
気を使わなくて良いところがありがたい。
一人でまた歩き出すと、主人が亡くなってからのことを思い出す。
家で1人になると、何をしても虚しくて、生きる目的もなくなって、みんなどうして毎日、幸せそうに生きているんだろう?と不思議に思っていた。子どもに迷惑をかけないで死ぬことってできるのだろうか? などとよく考えていた。
その頃は、まだボランティアも続けていたので、昼間、人に会う時は、努めて明るく元気に振る舞って。
誰でも、暗い顔を見たくないし、愚痴を聞きたくないはず!
明るく楽しくしていたほうがみんなが幸せ、と思ったから。
そんなふうなので、ずっと心の中に、2つの暮らしを持っているようで、とても疲れていた。
どっちも私なんだけど。
あの時、人と会っていたから助かったのだ、今は思う。
もし、一人で家の中だけに居たら、心を病んでいたかもしれない。実際に、ご主人を亡くされて、心療内科に通う人を、お世話させて頂いたこともあったので、他人事ではない感じがしたのだ。
また、亡くなった人をどう思えば良いのかも、迷っていた。
お仏壇に手を合わせても、お墓に行っても、そこに主人はいないと思った。
お仏壇の前に座って、亡くなった人に向けて話をする、ということも聞いてはきたけど、そんな気持ちにはなれなかった。
我が家の場合は、おじいさんも、おばあさんも既にお仏壇に入っているので、その前で 主人だけに向かって話すなんてできっこない。
そして、家中、あちこちに主人の写真を貼って
こんなふうに生きていた、こんなことや、あんな事もあった、主人と私は、仲良い夫婦だった! 悔いはない!と、思おうとしていた。
私がどれだけ恋しく思っても、全然 主人の気配も感じられなくて…。
心も消えちゃうんだな…。
主人は、生き残っている私の心、家族の心、友人の心の中にずっと生き続けるけど、主人は、私に思い出の中でしか話してくれない。
赤いポピーがきれい!
こんなかわいい花も。
そして、今日の宿の町に着いた。
今日のアルベルゲ。
まだ、時間が早いので、開いてない。
アルベルゲの近くのバルで、ビールを飲んで、友人の到着を待った。
洗濯を終えて、くつろぐNさん。
いつも、ガイドブックを見ている。
次に泊まる町のアルベルゲを調べ、決めてくださるので、私達は大助かり!
今夜のアルベルゲは、ドネーションの宿。キッチンはこんな感じ。
久しぶりに、Nさんの主導で手作りの夕食。
宿のオーナーのお便り。
もう、半分以上歩いたよね! 明日はどんな日になるかな?
おやすみなさい!
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