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まっする4大阪昼夜公演レビュー(鈴木健.txt) 「まっする4」外伝・アントン編 尊き埃だらけのダスティロード

「まっする4」東京公演のレビューで書いた通り今回、肝として据えられたのはアメリカンプロレスの伝説的スタープレイヤー、ダスティ・ローデスとその息子の関係性だった。そしてそれは、アントーニオ本多がプロレスラーを続ける上でずっとこだわりを持って続けてきた道(どう)でもあった。

新たなるシグナチャームーブであるごんぎつねを開発してからは、それまで毎試合のように繰り出していたローデスの代名詞的技・バイオニックエルボーの頻度が減っていった。つまり、ここぞという時の大技として意図せずグレードアップされたことになる。

プロレスの技は攻め手としての威力や効果とともに、言葉を使わずして物語を表現するツールとしての価値を持つ。アントンのバイオニックエルボーは、前者から後者に立ち位置を替えた。

語れる技を持つのは、プロレスラーとしての強み。ただ2014年3月20日、さいたまスーパーアリーナにおけるHARASHIMAvs竹下幸之介戦のようなそれに相応しいシチュエーションが訪れなければ、言葉の代わりとはなり得ない。

「今回のまっするは(マッスル)坂井さんが私にくれたプレゼントのようなものなんだと思います。こうやって、バイオニックエルボーがいい感じで演出されるというのは、作品としてとても気に入っています」

3・18大阪公演昼の部を終えたタイミングでアントンに話を聞くと、そう言って発露した思いを噛み締めた。それは、自身にとってバイオニックエルボーがどんな意味を持つものなのかを再認識する場となったからだ。

実はまっする4へ臨むにあたり、アントンは『俺の家の話』を見ていなかったのだという。だから、宗家・観山寿三郎を演じる西田敏行をオマージュするのではなく、台本にあった“75歳”のワードのみを自分なりに解釈し、表現されたものだった。

確かに、東京公演ではドラマの中の西田と同じく車イス(っぽいもの)に乗って登場したためすぐにイコールで結ばれ、ドラマをラーニングしているとすんなり受け取った観客も多かったと思われる。だが大阪公演ではパイプイスを使い、もっと最大公約数的なお爺ちゃんムーブに寄せていた。

「75歳と台本に書かれていて最初、どうします?ってなったんです。たとえばメイキャップをするとか、75歳に見えるには髭とかつけますかとか。まっするというイベントはそういうのが5日前とかに始まるので、話し合う暇もなくあれよあれよと本番を迎えて、別に何もすることなく75歳を演じるのに、モモヒキを履くだけになったんです。でも、結果として私はそのユニークなところが気に入っていますね。メイキャップや髭じゃなく、そのまんまで75歳と言い張るなんて、どの芸術にもないじゃないですか」

西田敏行を意識せずともそれっぽく映ったのであれば、アントンの中で膨らんだイメージと本家の役作りがどこかで通じ合っていたことになる。このあたりは、さすがにあの渡辺哲の血筋を引く表現者と唸るしかない。

本人も、老人のイメージを構築する上で「渡辺哲の口調に頼った」と明かした。息子であるRAM RIDERと対話する第一声の出し方は、役を演じる父のマネをしたらうまくいったらしい。

大阪夜の部はそんなアントンの「75歳」が大開放され、リング上でメインの展開が進んでいるにもかかわらず、場外で徘徊しながらつぶやく一言ひとことにオーディエンスと演者が吸い寄せられてしまっていた。そのグルーヴ感は、対戦相手であるニラの方がすこぶる似ている西田敏行のモノマネで宗家を挑発するシーンまで発生させたほど。

観山寿三郎と西田敏行の会話に関しては、当然ながら『俺の家の話』でも描かれていない。アントーニオ本多を“放し飼い”にすると、こんな磁場が発生してしまうのか――。

思えば「マッスル」に登場した時の初期型アントンもそうだった。誰も知らない存在だったのに、イタリア人としての表現がいちいち突き刺さり目が離せなくなる。プロレス技一つをとっても動きが過剰で、この時のスタイルがバイオニックエルボーへとつながっていった。

「あのドラマを見ていないので、この物語もダスティの物語としかとらえていないんです。ローデス家のドキュメンタリーを見ると、息子・ゴールダスト(ダスティン・ローデス)との関係が面白いんですよね。親父とケンカしたダスティンがずっと言葉を交わさなかった時期があってある日、WCWかなんかの会場で出くわしたらいきなり親父が抱きかかえて一気に仲よくなったとか。そういういいエピソードをうまく思い出して。

あとは純然たるプロレスではないのかもしれないけど、これだけバイオニックエルボーを自分の中でフィーチャーすることが最近はなかった。普段、お笑いの試合でも出さなくなっている。バイオニックエルボーってコミカルな技じゃないですか。コミックマッチですらバイオニックエルボーがシリアスな技扱いになっているという。今回、気づかされたのは、私の中でバイオニックエルボーというのは非常にシリアスな技で、ここぞという時に決めるべきだし、それだけの力を持っている技でもある。だから今回は不思議な試合ですよね、コミカルでありシリアスでもありで」

お爺ちゃんムーブでどんなに笑いを発生させても、エルボードロップとバイオニックエルボーは過剰に、かつ絵画のように美しく決める。その静と動、軟と硬のメリハリがたまらない。父・渡辺哲も同じ園子温作品でありながら強面で震え上がるような役どころ(冷たい熱帯魚)と、愛嬌漂うおじちゃん(ヒミズ)の両方を別人のように演じていた。

そしてまっするらしいのは、そこに行きつくまでの過程をちゃんと描いているところ。それが、バイオニックエルボーの練習風景だ。

トイレットペーパーを巻き取るトレーニングの描写は坂井の台本に基づいたものだったが、アントンの記憶によると過去にDJニラ絡みの試合でやったことがあったという。ヒジでスマホのタッチパネルを操作するのも含め、バカバカしくも劇画的な描き方を入れることで現実がデフォルメされ、より伝わりやすくなる。

ニラが前に出ようとするも、アントンがサッと右ヒジを掲げただけで動きが止まり、露骨に恐れをなして後ずさりする。70年代後半から80年代前半のNWA最後の全盛期に世界ヘビー級王座を争ったダスティ・ローデスとリック・フレアーの定番シーンであり、これが出るたびにオーディエンスは熱狂の渦となった。フロリダで、シャーロットで、そしてテキサスで…行く先々でアメリカ国民をハッピーにさせたのがバイオニック(超人的の意)エルボーだった。

渡辺哲の血とローデス家のレガシーが掛け合わされるうちに、いつの間にかアントンは埃だらけのダスティロードを歩み続け、それが一つの形として結実した。育んできたことが出力できてよかったですねと振ると、笑みを浮かべつつ「でも、体が痩せてしまった分(ローデスを)オマージュできなかったのが。5日前に言われても20、30Kgは太れないですよ、ハハハハハ。だけど…5日前に集まってやれちゃうこのチームはすごいです。どこのジャンルにもないんじゃないですか。そこはみんな、プロレスラーの底力ですよね」と言って、別の笑顔を見せた。

夜の部の大開放っぷりは、このような自己検証を経てのものだった。それが、どれほどの影響を及ぼしたかわからないが確かなのはアントーニオ本多が輝き、その姿を見つめる後輩たちの目もキラキラしていたこと。そこは、まっする4を心に刻む上で加えていただきたい外伝である。

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