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まっする3Ⅱレビュー(鈴木健.txt)誰かが主役として輝くよりも2020年にやっておくべきことを選んだまっする後楽園


 今年の1月に「次世代のマッスルを描くための育成プロジェクト」を掲げてスタートしたひらがなまっするだが、最初から現在の“型”ができあがっていたわけではない。スーパー・ササダンゴ・マシンが時流と向き合う中でインプットしたものに、自己拡張を加えることで独自性をまとい、それを演者たちが具現化することで作品として仕上げていく…この繰り返しによってブラッシュアップされてきた。
 M-1や2.5次元ミュージカルのように他ジャンルの方法論を持ち込む場合もあれば、プロレス内にあったさまざまな事象を膨らました部分もある。本来ならば区切り線が入れられるような要素をエンターテインメントという枠の中で融合化させることで、従来の「マッスル」の匂いを踏襲しつつ、ちゃんと新たなスタイルを確立するまで3度の公演を経験してきた。
 これまではいずれも誰かが主役を任され、そのポジションを全うするべく目の前の課題と闘う姿が見る者に響いてきた。渡瀬瑞基、今成夢人、平田一喜…くすぶっていたり、うまくいかなかったりする者たちだからこそ、頑張りそのものがエンターテインメントとなり得る。
 そうしたフォーマットができあがったのであれば、あとは毎回主役を変えるだけで物語は描いていける。そのつど新たにインプットしたもので味付けすれば、少なくとも同じ作品とはならない。
 それが今回の後楽園初進出では、明確に主役という立ち位置へ据えられた者はいなかった。ある人にとっては2.9インテットルール勝ち抜き戦で圧倒的な強さを見せつけた樋口和貞がそれに当たるかもしれないし、メイン後の男色ディーノとDJニラによるツイート及び「いいね」用の模範試合が染みた観客もいたはず。
 そうした受け手側のバラつきがあったからこそ、今回は9・21品川にも増してツイート数が多かった。もちろん、演目として“#ひらがなまっする”をつけてつぶやき、それに選手が「いいね」をつけるという流れはあったものの、現場とサムライTV、WRESTLE UNIVERSEで見た人の数だけの受け取り方を生み出した事実が重要なのだ。
 3度の公演を通じ演者たちのポテンシャルを見極めたことで、個人としての物語をフィーチャリングせずともみんなが輝けるとササダンゴは確信したのだろう。実際、この日の平田がまとっていた安定感には目を見張らされた。
 もちろん機を見てそのフォーマット通りの描き方をする時も訪れるだろうが、2020年最後の公演だからこそやっておかなければならないことが、ササダンゴの中にはあった。コロナ禍においてプレイヤーも関係者も、そしてファンも味わい共有してきた本当の思い――。
 それが、勝ち抜き戦による爽やかな余韻に満ちたあとに提示された。現在、プロレス界は興行を再開したものの依然として声出しが制限されている。闘う側も場を提供する立場からも、見る方もみなそこで「今は仕方がない」と自分に言い聞かせ秩序を守ってきた。
 みんなが我慢しているから、不本意であっても表には出さない。結果、無観客こそ脱したものの別の閉塞感との闘いを強いられるようになった。
 オーディエンスのリアクションがあって達成感が味わえるのに、それを望めないとなるとプロレスラーはシンドい。声援も思わず選手の名前を呼ぶことも許されぬとなると観客も辛い。ソーシャルディスタンス対策をした上で採算を取るために、断腸の思いでチケット単価を上げざるを得ない団体もある。
 それにもかかわらず、声を出せないのを承知でチケットを購入し会場へ足を運ぶファンのありがたみたるや…本当ならばその感謝の意をなんらかの形にして返したいのに、やはりできることが制限されてしまう。エンターテインメントに携わる人間ならば、悔しくていてもたってもいられなくなってしかるべきだ。
 煽りパワーポイントでその思いを伝え始めたササダンゴ…いや、マッスル坂井は涙で言葉を詰まらせた。泣かせる場面でなければ、過去3回のような誰かの物語に心を揺さぶられたわけでもない。
 ただただ、坂井は2020年現在のエンターテインメントを取り巻く現実に対しやるせなかった。3月の「まっする2」は、緊急事態宣言発令が近づく中で、何をやるのも、あるいはやらないのも判断が難しい状況にあった。
 あの直後から、プロレス界は無観客試合に入った。数日違っていたら興行自体やらなかった可能性が大きい。世の中の動きと向き合い、プロレスを通じ伝えるべきことを見いだし、坂井はそれをしっかりと形にしたものの葛藤はその後もずっとまとわりつき、本当にやるべきだったのか自問自答し続ける…そんな数ヵ月間だったという。
 それを乗り越えて開催した9・21品川は平田らの頑張りによって過去2回同様に達成感を得られた。でも、見にきてくれたお客さんはこの日も声を出せずにいた。あんなに涙がマスクを濡らすのに「ヒラタ!」のひとことさえも叫べないのだ。
 後楽園は、誰かが主役となって輝くための場ではない。2020年という一年がなんだったか、そしてそれに対し何をすべきなのか。
 なんという巡り合わせか、 ササダンゴは後楽園の4日前におこなわれる純烈の渋谷公会堂配信ライブの脚本を任されていた。音楽に携わる者たちとそのファンも同じように大きな痛手を負い、なお時代と闘ってきた。
 特に純烈は、歌いながらファンとふれあう“ラウンド”をウリとしている。これができなくなるのはライブパフォーマーとして死活問題であり、さらにはそれを楽しみに応援し続けてきたファンも喜びを味わえなくなる。
 ソーシャルディスタンスを取るためにファンクラブ会員の中から抽選で選ばれた、たった1人の観客を招いたライブはその特性を生かした上でそれ以外の視聴者として参加した在宅オーディエンスの存在もちゃんと頭に入っていた。そこでササダンゴは“オンラインラウンド”を提示する。
 視聴者がライブの感想や純烈への応援メッセージを送ってツイートし、ハッシュタグで拾ったメンバー4人がメドレー曲を歌いながら「いいね」をつけていく。そのタイムラインがスクリーンに映され、ライブに参加した全員が物理的距離を超えて共有する。
 目の前にたった1人しか観客がいないにもかかわらず、とてつもない一体感がだだっ広い渋公を包み込んだ。コロナにより遠く離れてしまったようでいて、実は純烈とファンはオンラインラウンドによってより距離を近づけていた。
 スクリーンから溢れ落ちるかのような温かい言葉を下から眺めるうち、酒井一圭は感極まった。リーダーとして、難しい決断を何度も何度も迫られたこの数ヵ月前、どんなに苦しい時も支えてくれたファンの姿は目の前になかった。
 でも、この日は姿の代わりに機械的にスクロールされるテキストから人肌のぬくもりが感じられた。「あたたかい…あたたかいよね、ホントに」と絞るように声を出して、また酒井は言葉に詰まった。
「今の世の中は、距離が近いことが悪いことのように言われてしまう。でも、人間は距離を近づけることでふれあえる。ツイッターを通じてつながることによって、2083席分空いていたとしてもちゃんとみんなつながっていて、見ているんだという意識になってもらいたかったんです。それができるのは、純烈しかいないと思いました」
#純烈 のタイムラインは、こうして多幸感に満ちたものとなった。「SNSはたった140文字で人を殺すことができる」などと言われるシロモノだが、正しく使えば今の時代だからこそ描ける素晴らしい形も成立させられるのだ。
 4日前の“実験”で確証を持ったササダンゴは、歌のメドレーをプロレスの試合に替えてトレース。十数分前までは究極的な緊張感に包まれていたのが選手と観客、そして各メディアの視聴者がツイートと「いいね」でつながったことで緩和を迎えた。
 緊張と緩和をていねいに構築するのは「マッスル」時代から外さずやってきたこと。前半のドメスティック・ドタキャン・チームとユウキ・ダブリュ・エフ・インターナショナルによるくだりを加えると緩和→緊張→緩和となり、ここはGoTo輪廻転生キャンペーンを活用したのだと思われる。
 やっぱり、みんな参加したかった。目に見えぬ境界線を取っ払って、選手たちと空間を共有したかった。声は飛ばせずとも、別の形で他者とのつながりを持ちたかった。2020年が、こういう時代だから――。
一つの興行で歌い、ダンスを踊り、芝居を演じてプロレスと格闘技の両方をやる。そんな集団は世の中でまっするだけだ。公演終了後、それを口にした高木三四郎社長は坂井に唸り、選手たちを誇りに思うと言わんばかりの表情で#ひらがなまっするがトレンドワード2位になったと喜んでいた。
 そこへやってきた坂井にも報告すると、嬉しさよりも先にこの言葉が返ってきた。
「だから! だから僕らが彼らをなんとしてでも売ってあげなきゃいけないんですよ!!」
 出役ではなく、現場総指揮監督となった時点で坂井のまっするに関する目指すべきところは、そこに集約されている。ファンとともに共有できたこの思いをもっと多くの人たちに届け、DDT本体の試合に追われながらそれでも稽古という“拘束”に嫌な顔一つせずついてきてくれる、愛すべき後輩たちが報われてほしい――。
 エンドロールが終わったあと、ほとんどの観客が席を立つことなくリング上からスクリーンを眺めていた選手たちに拍手を送っていた。決めゼリフやチャントではなく、一人ひとりが余韻に誘発されたものだったからバラバラに鳴り出し、じわっという感じで場内を包み込んだ。
 拍手でしか気持ちを伝えられない現状の中であがいてきたのに、最後に染みたのは自然発生的なカーテンコールの拍手だった。

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