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まっする2レビュー(鈴木健.txt)閉塞した3次元の中で伝えられること――OBが見たまっするは「頼もしくてしょうがない」

 2月23日に開催されたトークイベントの中で、スーパー・ササダンゴ・マシンは「マッスルはすべてのプロレス・格闘技の2.5次元」という言い回しをしていた。現・純烈の酒井一圭がリングへ上がるにあたり逆算的にドリル練習したり、本公演と追加公演が偶然同じ内容になったりしたのは、2次元における世界観を3次元のまな板に乗せた結果だったのだという。

 目の前の風景がスローモーションに見えてしまうのも、通常のリングではありえない結果(マッスル坂井が天下の大仁田厚に勝つなど)が生まれるのも、すべてはそこが3次元ではなく2.5次元の空間だから。理屈としては合っている。

 15年以上もマッスルを見てきたのに、まったく気づかなかった。てっきりすべてが3次元だとばかり思っていたのは「それは健さんが物事をまっすぐに見てしまうからですよ」と、ササダンゴに指摘された。

 だったらもっと早く言ってくれよ!とも思ったが、自分以外はとっくの昔に気づいているかもしれないので、恥ずかしくて口に出せなかった。言われてみれば「新選組の討ち入りで擬人化した刀剣たちが活躍しているのを、刀剣女子の皆さんが真剣に見ている『刀剣乱舞』と同じ」というササダンゴ説も、納得がいく。

 ゲームとして生み出された刀剣乱舞の世界観はミュージカル、舞台、映画と、あたかも100日後に死ぬことが定められている爬虫類のごとく多角的なエンターテインメントとして作品化されていった。ちなみに“2.5次元”の名称は、「2次元と称される漫画やアニメに対し、3次元と呼ばれる現実(舞台)の中間という意味で、ファンの間で自然発生的に名づけられたとされている」(ウィキペディアより)。

 もちろんトークイベントの段階では、そのフレーズが次回「まっする2」に向けてのヒントという素振りは微塵も見せていなかった。こうした状況の中でも自分の意思で新木場へいくことを選んだ観客と、DDT UNIVERSEリアルタイム視聴者の中に2.5次元と聞いて「ここにつながるのか!」となった方がいたことになる。

 マッスルがどんなコンテンツなのか説明するにあたり「演劇的手法を採り入れた表現によるプロレス」という言い回しがよくされた。それが今回は演劇の俎上にプロレスを乗せるという、ありそうで着手してこなかった試みだった。

 マッスルに出ていたのはほとんどがプロレスラーであり、役者ではない。ゆえに、鶴見亜門やAKIRAのような舞台経験者の存在が大きかった。

 実はこの日、マッスルOBのペドロ高石さんが観客として来ていた。客席から見るのは、初めてだという。

「いやー、進化しているなと思いました。歌って踊ってって、僕らよりも全然上のことを若い人たちがやっているのが、頼もしくてしょうがなかった。自分がやっている時もそうだったんですけど、相変わらず何が出てくるか、どうなるのかわからない面白さもある。最初は自分の子どもがやっている感覚だったのが、途中から一ファンとして見られましたね」

 両国国技館での引退から1年1ヵ月後、マッスルもOBに見守られるジャンルになったのだと思うと感慨深かった。第1部終了後、休憩をはさんで披露された2.9次元ミュージカル「必殺技乱発~新木場ユーズ・ユア・イリュージョン1~」は、ペドロさんの言う通り実に完成度の高い演劇作品で、心から唸らされた。

 ちゃんと振付を施したダンスを踊りながら、唄も歌う選手たち。いちいちプロレスファンのツボを突くストーリーを追うのが心地よく、その中に3次元的なリアルが挿し込まれる。

 2.5次元から0.4次元分現実に寄った2.9次元で(この2.9という数字もプロレスだからこその親近感がある)、今成夢人が自身の3次元をぶちまける。この“0.1”の部分が、もしかすると人の心を揺さぶる妙なのかもしれない。

 3次元のままだと現実そのものとなってしまう。そこから少~しだけリアリティー重視の世界へ寄った方が、ドラマティックなものとなって伝わる。

 試合の部分はホンモノのプロレスラーがやるから、舞台役者では表現できぬ世界を描ける。キャラクターを演じ、音楽が流れる中で闘いを繰り広げ物語を展開していく試みの先駆者として「MAKAI」を忘れてはなるまいが、まっするはバカバカしさとネタ的要素に特化し、よりプロレスの方へ寄っていると言える。

 また、上野勇希や勝俣駿馬ら元DNA勢は2018年に『櫻農カプリチオ』で舞台を経験しているが、そこではプロレスをモチーフとすることなく純然たる演技に徹した。似ているようで、向き合い方はまた違ったように思う。

 単純に考えても、限られた練習時間の中でよくぞ歌とダンス、台詞を身につけたものだと感心させられた。もちろん全員が完ぺきにこなせたわけではなかったが、うまくやることばかりに気がいってしまいリアリティーが損なわれるよりはいい。

 前回の渡瀬瑞基のように今成も、そして最後に相手を務めた納谷幸男も順風満帆なプロレス人生を歩んできたわけではない。なんらかの葛藤を抱き、悩み、苦しみながらそれでも報われる日を目指し足を踏み出している。

 大鵬三世と、学プロ出身で映像班兼任というまったく違ったコンプレックスと闘ってきた者同士が、2.9次元の中でぶつけ合う3次元の思い。それはリアルとファンタジーという区分け方以上に人間臭く、まっするだからこそ描ける情景だった。

 ただ、なんでも数字に当てはめると面白いものも面白くなくなってしまう。坂井が伝えようとしているのは、ここでつらつらと書いたような世界観ではないはず。

 ライブは、理屈抜きで見るべき。整合性や解釈などは、帰りの電車の中や居酒屋でそれぞれが巡らせればいい。歌やダンスという武器を持ったことで、ひらがなまっするはカタカナVer.と比べライブ性が格段に増した。

 第1部でユウキザ・ロックがマッスルあるあるの“素人がヒドい目に遭う”を体感しボロボロになったのも(サウスリバー南川からシステマを習っていたので痛みはビタ一文感じていなかったと思われるが)、カーテンコールで翔太が感極まったのもライブ。あらゆるエンターテインメントが自粛に覆われる現在、人間らしさや人肌のぬくもり、楽しさと笑いを提供することの意義を噛み締める。

 今成と納谷が闘ったように、ミュージカルの練習で選手たちが連帯したように、人はふれあうことによってわかり合い、認め合い、許し合い、そして尊い絆ができる。ふれあいさえ許容されぬままだったら、人間としてあるべき関係も築けなくなってしまう。

 閉塞した3次元の中で伝えられること。それが見いだせたからこそ坂井はギリギリのところで中止とせず、仲間たちに懸けようと思ったのではないか。そんな気がしてならない。

「こういう状況だからこそ、逆に見たかったんです。これからしばらくは(プロレスをライブで)見られないと思うので。でも、いつの日かマッスルがプロレスを超えて『マッスル』という一つのジャンルになっていってほしい。それを楽しみに客席から見る日が帰ってくると思いたいですね」

 そう言い残すと、ペドロさんは静かに3列目の席を立った。1年1ヵ月前、両国で見た時のような去り方だった――。

 トークイベントで、坂井は「やりたいことがあって、それを形にするためのひらがなまっする。だから、今は短期間のワークショップだと思っています」と言っていた。ちゃんと向かうべき方向が定まっているのは何よりである。

 公演が始まっても台本を書き続けたり、産みの苦しみを味わったりしたのはもう過去のこと。強力な布陣に恵まれたのも、2.5次元にいる神様が坂井に対し「これからも世の中の動向を見て、プロレスだからやれることを形にしていきなさい」と授けた力なのだと思えた。

【まっする2全編はDDT UNIVERSEの見逃し配信で!】
https://www.ddtpro.com/universe/videos/8047


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