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石田徹也展@ガゴシアンNYに行って来た

石田徹也展を見に行くためにニューヨークに行って来ました。石田徹也というのは私の友人の画家で、20年前に亡くなっています。石田くんは生前は一部では作家として評価されていましたが、絵がたくさん売れることもなく、どちらかと言うと不遇の画家でした。彼は亡くなってから絵が評価され、ガゴシアンで個展が行われるまでになりました。

私は学生時代に毎日一緒にいるほどの親友だったので、石田くんの学生時代に関する取材はほぼ私のところに来ます。間違いなく、石田くんとアートについて語った量は誰よりも私が一番多いと思いますが、それでも私達はベラベラ喋る続ける感じでもなかったので、記憶している断片を脳の奥から引っ張り出す感じです。

亡くなって注目され始めた直後にいろいろな媒体からかなり取材をされ話しているので、その時の証言に客観的な事実が多いと思われます。20年も経つと自分の記憶すら編集され、それが事実だったのか想像だったのかすら分からなくなることもあります。

そんな石田くんの個展をニューヨークに見に行ったのです。

オープニングの前日に親族の方々や関係者の方々、ガゴシアンの方やコレクターの方などとコンパクトなディナーがありました。Kappo Masaという高級な日本料理の店です。

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そこで石田くんのストーリーが固定されつつある懸念についての話が出ました。それは作家としての石田くんが持っている「悲劇の画家」「悲しみを背負った画家」みたいなイメージの事です。もっと社会に寄せて言うならば「現代社会の理不尽さに苦悶した画家」みたいなイメージでしょうか。

私は石田くんが亡くなった当初からそれを否定し続けて来ました。彼はユーモアがあってアイデアマンで、お茶目でシャイで、人懐っこい人だったからです。でも、石田くんの絵の後期は悲劇的な印象の絵が多く、「この人は社会に絶望して死んで行ったんだ」と思われがちなんです。

一番大きいのは、そういうストーリーを作ることによってメディアに乗りやすいという面もあったんだと思います。テレビ番組にしても雑誌にしても、ディレクターや編集者の意図的な方針は必ずあると思いますので。

私は自分が作家である一方で、仕事ではディレクターとして番組も作っています。だから「悲劇の作家」という印象によって石田くんがブレイクした事も否定しません。それが無ければここまでの評価も得られていない可能性があるからです。でも、一番近くにいた私が「そんな人ではなかった」と言い続けて行くことは大事なことだと思っています。それが真実だからです。

もちろん人間なので、気持ちの浮き沈みはあるでしょう。亡くなる直前あたりは精神を病んでいたかも知れません。でも、精神を病んでいる人は「悲劇の人」ではありません。そして、精神を病むのはその人の性格のせいでもありません。「病む」と言うように、いろいろな要因で精神がそうなってしまったからなんです。石田くんの本質は、ユーモアがあってアイデアマンで、お茶目でシャイで、人懐っこい人なんです。

翌日の18時からオープニングレセプションがありました。ガゴシアンギャラリーの中に初めて入りましたが、かなり大きなギャラリーでした。隣の部屋で同時にやっているのはロイ・リキテンスタインの巨大な作品の展示です。こんな並びで展示されるなんて石田くんは想像もしてなかったでしょう。

オープニングレセプションにはものすごい数の人たちが来ていました。6畳1間の様な狭い部屋で描いていた絵がガゴシアンギャラリーで展示され、たくさんの「外国人」に見られているんです。

よく「こんな状況になって石田くんは喜んでますかね?」と聞かれることがあります。それは石田くんが「悲劇の人」であり「社会的弱者の味方」というイメージを持っているからです。極端に言えば「共産主義的な貧乏の美学を持っている画家」というイメージがあるからです。要するにガゴシアンという世界のアートマーケットのど真ん中にいるメガギャラリーで展示されることに対して、石田くんは望んでいないのではないかという疑念です。

そんな質問に私は「大喜びだと思います。」と答えます。石田くんは山奥で社会と断絶した状態で絵を描いていた訳ではありません。しっかりと社会にアンテナを張り、世界のアートシーンも見ていました。そこで「何でオレが評価されないんだ。」と嫉妬していた訳ですから。「オレの絵の方がいいのに何でアイツが評価されるんだ。」と思ってましたから。これも作風から来る誤解なんだと思います。石田くんは勝ちたくてしょうがなかった人です。

私は石田くんの気持ちがすごく分かります。私も石田くんも「自分そのもの」に自信がないんです。一人の生身の人間として認められるべき人間と思ってないんです。だから、石田くんは絵を描いてそれが評価されることを強く望み、私は映画祭に出して客観的な評価を得てそれを精神的な鎧にしてるんです。自分そのものに自信が無い人は作品が評価されるまで徹底的にやるので結果が出やすいんです。手ぶらで丸腰で丸裸でいる状態が怖くてたまらないんです。石田くんはそれの極端な例なんだと思います。

もし、石田くんが生きてガゴシアンギャラリーにいたら、酒を飲んで酔っ払ってニヤニヤしていたでしょう。質問をしてくる人にも懇切丁寧に説明していたと思います。そういうところは本当に誠実な人なので。そして、しばらくすると「あ〜!下手だ!」とか言ってホテルに帰って絵を描き始めたでしょう。

こういう時にいつも、本当にあの世があればいいなと思うんです。あの世にいる石田くんが自分の成功をあの世からでもいいから見て欲しいと思うからです。あの世で「あ〜!下手だ!」と思っちゃうかも知れませんけど。

会場では石田くんが特集された『日曜美術館』の映像が流れていて、私のインタビューも流れていました。ほぼ20年前の自分が若すぎて笑いました。石田くんは20年でガゴシアンで個展が開かれるまでになり、私は20年経っても大した変化はありません。でも、短編映画を本気で作るようにアクセルを踏み込んだのは石田くんが亡くなってからですね。石田くんからは「早く戻ってきなよ」とよく言われてましたから。「戻っくる」というのは、私がどっぷり入っていた広告業界から作家の世界へ戻ってくるという意味です。未だに私はマーケティングの世界に生きてますけどね。

私は関係者の方々に石田くんの映画を作る宣言をしているので、久しぶりに会う方々に「映画はどうなりましたか?」と聞かれました。ハッとしましたね。これから本気で取り組んでいこうと思います。親友という私にしかないコンテクストがあるわけですから。私の役割はアート界にいる石田徹也を映画界につなげる役割でしょうか。巨大な存在になりつつある石田くんに対して、私のチカラは微力にも程があるんですが。

単なるアーティストの伝記映画ではなく、その映画自体もアートになるようにしたいと思っています。そんな映画作れるの、日本で私しかいないじゃないですか!

と自分を鼓舞する次第なのです。

石田徹也展@ガゴシアンNYは10月21日までやっています。わざわざ行く価値があります。

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