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チベット仏教から学んだこと

かれこれチベット仏教を勉強しはじめて2年になる。
3年前に事故で入院した時に、本を手にとったのがきっかけだった。
その後、チベット語を勉強したり、チベット仏教寺院のクラスを受講したり、研究者の方とお話ししたり。
振り返ると、世界旅行にも匹敵する、精神世界の大旅行だった。
今でも解脱できたわけではないけれど、現代日本で、不自然だと感じていた常識が、相対化されていき、ドグマから解放され、ずいぶんと楽になった。
現代の中で、多くの人が感じている閉塞感を破るきっかけになれたらと思い、僕がチベット仏教から学んだことを3つにまとめてみたい。

1 「死」をポジティヴに捉える


先進国では、死は隠される。
死はグロテスクで恐ろしいもの。
そのような死を、なるべくキレイにラッピングして、誤魔化し、目を背けていくしかないのか。
僕はこの方向性に、なんとも言えない欺瞞を感じていた。
チベット仏教は、別の可能性を提示する。
死を、精神を高める一つの瞑想だと捉え、解脱、究極の自由へのチャンスと考えるのだ。
この発想の転換のおかげで、僕は、充実した看取りの体験ができた。
個人的な話になるが、僕の祖母は、自宅で、1か月程患い、亡くなった。
死を不気味なもの、避けるべきもの、と考えなくなっていた僕は、死にゆく祖母と、濃厚なコミュニケーションをとることができた。
会えなくなるのは寂しいけれど、生きていても、死んでしまっても、おばあちゃんの僕にとっての価値は変わらない、と伝えることができた。
死が近づき、痩せこけた顔には、今まで見たことのない静寂が漂い、静かに手を合わせている姿は、もう世俗の人間ではなかった。
僕の心には、聖人を仰ぎ見るような畏敬の念が溢れ出した。
祖母は、違う世界を見ているのだ、と強く感じた。
死は、単なる苦しみではなく、ましてや、死者は可哀想な存在でもない。
最後、終末呼吸に至るまで、僕は手を握って、その閉じていく目を最後まで見つめ、最大限の愛と尊敬を伝えることができた。
「死なないで」と言う幼稚な看取りは、死者に大きな孤独を与えるという。
最後に伝えるべきことは、命に対する尊敬の念と愛以外にない。
おかげで、極端な言い方をすると、僕は、生きている時よりも、祖母を身近に感じられるようになり、尊敬できるようになった。
今の僕は、死が精神向上のチャンスだと言うことを信じざるをえない。
そして、そんな機会を生かしてレベルアップしていく家族は、まさに人生の先生であり、大切なものを教えてくれる。

2 「自分らしさ」教からの解放


人は、気づけば、「私」、「私」と言う単語を多様し、「私」と言うものが確固として存在するかのように言う。
「なりたい自分になる」と言うセリフを何回聞いたかわからない。
しかし、「私」って何だろう、と掘り下げていくと、意外なほど、何もない。
まるで、タマネギの皮を向くように。
「僕」は今、ゴロゴロ寝転びたい。
なぜか?
脳が疲労を感じているから。
じゃあ、「僕」は脳の電気信号か?
「僕」はもし、妻が浮気をしたら、激怒するだろう。
なぜか?
独占したいから。
では、「僕」は、独占欲か?
独占欲はどこから来るのか?
それは「僕」なのか?
「僕」ってなんだろう、と考えると、実は、確固とした者は何もない。
今まで「僕」だと思っていたものは、色々な条件の中で、感情や思考がグルグル回る、カオティックな嵐に過ぎないということに気づく。
よく、「自己肯定感」なんて言うが、「自己」って何?
実は、それ、妄想なんじゃない?
こう考えられた時、「自分らしさ」への呪縛から解放された。
大切なのは、「なりたい自分」になることではなく、「自分を知ること」。
自分を知れば、妄想が消え、本当の世界が見えてくる。
これこそが、本当の自己肯定だと思う。
ブッダは悟った時、最高の喜びを覚えたという。
それが、本当の自己肯定だろう。

3 「一代思考」からの解放

ブッダは何回も生き死にを繰り返して、ようやく悟ったという。
現代人は、自由教、平等教、個人教を信仰しているので、人間はゼロから生まれ、色々なものを身に付け、最後はゼロになって死んでいくと考える。
僕はこれを一代思考と名付ける。
しかし、それは真っ赤なウソ。
赤ん坊は、両親由来の遺伝子と、社会環境を背負って生まれてくる。
そして、生きている間にあらゆる影響を自然・社会に及ぼして死んでいく。
人間は、ゼロから生まれないし、死んでもゼロにはならない。
そんなキレイに一代で始まって終わっていくものではない。
一代思考は、近代ヨーロッパの産物で、まだ歴史が浅い。
それまでの人間は、家系というより大きな単位を次代につなぐことがメインの役割だった。
いわば、中継ぎだ。
自分という存在は、人類という歴史を紡いでいく中継ぎに過ぎない。
狩猟の時代があり、農耕の時代があり、戦争の時代があり、それらの時代を生き抜いてきた人類。
愚直に働き、獣を殺し、異性を愛し、子孫を残し、敵を殺す。
そんな生活を送ってきた人類。
何百万年受け継いできた遺産(カルマ)を侮ってはいけない。
自分はカルマに引きずられる弱い存在。
たった一代で、その大きな流れにはむかって独創的なことを成し遂げるなんて、非現実的だ。
悲観的になる必要はない。
こう考えれば良い。
自分一代で到達できる理想なんて、ちっぽけなもの。
夢はでっかく。
子々孫々にわたって努力を続け、でかい理想を実現しよう。

いかがでしたか?
常識から解放される喜びを、これからもシェアしていきたいと思っています。
応援、よろしくお願いします。










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