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真理に到達しそうな話

僕は今、田舎暮らしをしながら、ほぼ真理に到達しそうになっている。

実践こそが最も重要であり、人間はその人の言葉ではなく、その人の行動で判断すべきだ。

だから、僕の生活の内容を説明してみるので、真理に近そうか判断してみてもらえたらと思う。

経済的自由

ほぼFIRE(働かなくて良い)の状態。

配当と、朝20分間くらいの日経先物デイトレードで十分。

もちろん、勝つ可能性が高い日かつ気が乗った日しかやらない。

仕事は、よっぽど緊急性のある案件しかやらないので、月数日程度。

誰かにこびる必要はない。

綺麗事を言う必要もない。

世間様も全く怖くない。

金銭面で自由になると、それまでいかに自分が収入を失わないために体面にこだわり、ウソの笑顔を作っていたかに気づかされる。

人間として、素直になれる。

精神的自由

まず、芸術的要素について。

一昨年、家の近くに広大な山林を購入した。

一通り遊んでしまったので、最近は、赤土を採取している。

取った赤土をyoutubeのみようみまねで、掘った穴の中にいれる。

山水を混ぜながらひたすらこねる。

すると、陶芸用粘土ができる。

これが自然から取り出したモノなのか!?と驚くほど、純粋な粘土で、どんな形にもなりそうでびっくりする。
ポテンシャルのカタマリだ。

自分の内面に湧いてくる感覚を形にするために、山の中で虫の音を聴きながら、とにかくこね上げる。
抽象的なエネルギーを形にする。

まだ全然上手くいかないのだが、これがめちゃくちゃたのしいのだ。

目指すは、アメリカの現代陶芸家、ジョン・メイスンのようなスゲエ作品。

次に、宗教的要素について。

同じ所有している山林に川が流れているので、そこで沐浴をする。

瞑想をしながら、川の流れ、虫の声と一体になる。

時には、聖なる感覚を引きずり出すために、異様な行動を取ってみたり、性的なエネルギーを利用してみる。

またある時には、有限な人間相手には表現しきれない、根底からの愛を夕日にぶつけてみる。涙がボロボロと溢れる。

誰もいない自分の山林なので、大声を出そうが、涙、糞尿、精液、何を撒き散らそうが、迷惑かけることもなく、一瞬で自然の中に吸い込まれてしまう。

哲学的考察

金銭的収入、生き甲斐を得るために、人は仕事をする。
裏を返せば、金銭的収入と生き甲斐を仕事以外で得られるようになれば、仕事はもはや必要ないのだ。
プロレタリアートを卒業し、仕事以外から生きがいを見出せるようになった人間には、もはや依存は存在しない。
残るのは精神的自由だけだ。
そして、精神というものを突き詰めると、内面のエネルギーをモノの形で表現しようとする抽象表現意思と、聖なるものを求めて爆発する純粋宗教感情のみが残る。
世俗的な関係は言わずもがな、具体的な対象物も、祈るべき偶像も、もはや必要ないのだ。

参考にしたのは、マルクス、ナシームニコラスタレブ、カント、ヘーゲル、原始仏教、チベット密教、ヨーガ哲学、ルドルフオットー、バタイユ、岡本太郎、モダンアートの作品と思想。
僕は、哲学を、現実の、具体的な結論にまで落とし込むのが一番好きであり、一番楽しい。
法律家の仕事は、その観点からピッタリだった。

今後の展望

僕は、おそらく豊かな世界の入り口に足を踏み入れた。
精神的自由の殿堂に目も眩む心地がしている。
しかし、僕の才能は、大きな枠を作り出すところまでで、ここから先は、別の才能を持った人が必要になる。
投資、抽象芸術、純粋宗教共同体を作らなければならない。

1投機

2芸術的感性

3宗教的感性

いずれかに優れた人を、どんどん仲間にしていくつもりだ。
この三者が揃えば、金融資本主義と個人主義が極度に発達した現代においてこそ可能になった、究極の世界を生きることができる。
これは、時代の必然的帰結だ。
一緒に努力すれば、必ず、燃え上がる人生を送ることができるはずだ!
と言っても、今は、まだ、笑われるだけだろうと思う。
しかし、僕は、これからも本気でトレードスキルを鍛え、山で抽象陶芸に打ち込み、純粋宗教感情を高めていくつもりだ。
今までの経験上、一人で2年くらいひたすら努力すると、必ず人を惹きつけるレベルに到達できる。
2年後には、必ず共鳴する人が集まり始めるだろう。
そのとき、19世紀以降の資本主義とそれまでの豊かな人類の精神世界が融合して、相互に高め合う究極のコミュニティが始まるだろう。



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