初めてキャップをかぶった話

最近、キャップを被っている人を街で見かけることが多くなった気がする。このキャップというものに少々抵抗があった。私の身の回りにキャップを被っている人が少なかったこともあるだろうが、どうもキャップを被って身内や友人に会うことが照れくさかったのである。

キャップというのは、頭髪を隠すという目的を除いて、指輪やネックレスなどと同様装飾品の一種であり、本来そうであるべき日除けという目的を超えた自己表現のための武器として使用されていることがほとんどであろう。決してなくてはならないものというわけでもなく、おそらく服を着るという行為の分類の中で、合理的に見るとかなり低い順位にいるというのは誰もが納得するはずだ。その実、キャップというのは非常に時と場所を選び、冠婚葬祭で被ろうものなら変り者として即座にレッテルを貼られるのである。つまり、キャップをかぶるというのは言い換えると「私はおしゃれをしています」という顔で街を歩かなければいけない行為とも取れるのだ。通常の上下の衣服であれば、おしゃれをしていても「これは外界と接する上で不可欠な、服を着るという最低限の行為の枠の中で嗜んでいるのだ」という言い訳がきくが、キャップをかぶるという行為についてはそれができない。

誰に言い訳するわけでもないのだが、不幸なことに私の身の回りの友人では、私がキャップを被り登場しようものなら、ニヤニヤしながら「どうイジってやろうか・・・」と考えを巡らすような人間しかいなかったのである。

自分自身、キャップを被って友人が登場しようものなら、「あ、キャップを被っているな」と心の中でつぶやかざるを得ない。この一瞬の視線の動きが、私がこれまでキャップをかぶることができなかった大きな理由であり、自分はキャップが似合わないと自分に言い聞かせていた理由でもある。

そんな自分がキャップをかぶり渋谷の街に繰り出したのだ。高校・大学・社会人と、人生においてキャップを被りたくても被れないまま年を重ね28歳を迎えた自分にしてこれは革命的な出来事である。そんな自分がなぜキャップをかぶることができたのか。それは、

「めちゃくちゃかっこいいキャップに出会えたからである!!!」

振り返ると、私はかっこいいキャップに出会えていなかったのである。私はHIPHOPが大好きだ(HIPHOPが好きなくせに何をそんなに小さいことばっか考えているのだと言われても何も言い返せないが)。だから、ラッパー達に私も憧れ、良いキャップがないか過去に何度もネットで調べたりしていた。しかし、私が心から被ろうと思うキャップはなかった。しかし、やっと最上級のキャップが見つかったのだ。それは、

「MF DOOM」と書かれた、つばの曲がった果てしなく黒に近い緑色のキャップだ。MF DOOMというのはHIPHOP界では有名なアメリカのラッパーである。

このMF DOOMのインスタグラムでキャップの通販が行われたのだ!私は大好きなだけあって、即購入をし、空輸のため長い時間をかけて運ばれるキャップを待ち望んだ。

3週間かけて届いた荷物をあけ、被り、鏡の前に立つと、何とも似合っている自分がいる。これはイイ!私はすぐに家を飛び出した。これを被っているだけで、印象がこんなに変わるなんて。私は改めて電車の中で、MF DOOMの意味について調べた。DOOMとは「破滅」。私は破滅を背負い鼻息を荒くして意味もなく渋谷のTSUTAYAにビデオを借りに行ったのである。

私はその後、このキャップを被り友達に会った。友達は何もいわなかった。私は克服したのだ。私は、友達にいじられたらこう返すつもりだった。「これは俺の好きなラッパーのグッズなんだよね!」と。ここには「好きなアーティストのグッズを身に付けているだけであって、一義的にオシャレをしたいからキャップを被っているわけじゃないからね!」という言い訳が含まれている。私は何も成長していないのである。

今日も「破滅」のキャップを補助輪的に被り、新たなキャップを探し、下北沢の古着屋に出かけたのであった。

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