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幸せの核に近づくための自分メモ #15

◆ もともと夜型の人間なので、気を抜くといとも簡単に昼夜逆転してしまうのだけれども、それでも最近は遅くとも午前中のうちに活動を開始していた。それが昨日は清々しいくらいの14時半起き。調子が狂い、もともと夜に筋トレするつもりだったのを変更し、散歩することにした。そういえば桜の時期だなと気づいたのは緑道に差し掛かってからのことで、歩き始めはリスニングの練習も兼ねてJay Shettyのポッドキャストでも聴こうかなくらいに考えていた。

◆ 結果的に散歩して正解だった。雨でだいぶ散っちゃってるかなと思ったら、わりとちゃんと満開に近くて見頃だった。ライティングも含めて例年一番好きなスポットは、昨夜は照明を落としていて花も控えめな咲き具合だったけれども。

例年、暖色系のライトに照らされた桜が最高に綺麗なスポット。昨夜はポテンシャルを十分に発揮しきれていなかった。

◆ もう今の家に住んで15年になろうとしている。この緑道も何度通ったか分からない。キックボクシングの試合前に走ったり、塾講師のバイト後に電車賃を節約するために一人で歩いたり、デートで歩いたり、夜中に一人で散歩したり。フレッシュグリーンの香りの柔軟剤かと思うような明確な緑の香りも、脇を流れる小川も、いとあはれなり。桜の時期には特に人が多く、今日も写真を撮っている人々やレジャーシートを敷いてお酒を飲んでいる人々を見かけたけれども、よりオススメなのは初夏か秋口。

Water watchin', live my life in nature, only thing relieves me

Kendrick Lamar - Mother I Sober ft. Beth Gibbons of Portishead

◆ 少し立ち止まり、木々や小川、行き交う人々に目をやりながら、万物を慈しむような気持ちが己の内に芽生えているのを感じた。桜に強い求心力があったことは認めるけれども、それはきっかけにすぎず、気づけばもはや桜だけじゃなくて全てが慈しみの対象だった—窓から漏れる灯りの奥に居るであろう、見知らぬ人々でさえも。excitementでもpleasureでもなく、peaceって感じ。いつでもそこにtap inできることを頭では知りながら、なかなか至ることのできないinner peaceがそこにはあった。

◆ 何かつらいことがあったら、また緑道に来よう。その時の俺の状態がどうかはその時にならないと分からないけれども、木々も小川も、多少姿を変えていたとしても、本質的には変わらずそこにあるだろうから。窓から漏れる灯りの奥に、同じ悩みを抱える人が居るかもしれないから。

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