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街が眠るころに

このnoteは公私混同の内容且つ他のSNSには書ききれないことをツラツラと書いていこうかと思います。
それは笑い話かもしれないし、真面目な話、悲しい話など思いのまま書き出しますので苦手な分野だと察したらば回れ右でお願いします。

今日の本題に入ります。
7月に長い間の友人であり、仲間である大切な命が亡くなりました。自死とのことでした。
コロナウィルスが世界中、日本中とくに首都圏を中心に感染がひろがり、あっという間に外出自粛期間になる少し前に彼は私を訪ねてきてくれました。海に入れるようになったらまた波に乗ろうとか釣りもいいね、などと仕事の話は一切せずに。
別れ際もいつものように笑顔で手を振り、「またね!」そう言ったのが最後の声になりました。

遡ること16年前の8月、当時音楽関係の会社員をしながら芸能事務所に所属し映像制作までしていたのですが(学生時代から事務所にいて就職したいので辞めたいと申し出たら会社優先でいいから在籍を懇願されて、またそれを会社側に話したら「ま、似たような分野だしいいんじゃない?」と許可が出るという謎‥‥)
その映像制作の中で知り合った女性カメラマンと意気投合して、彼女が撮った写真に私が詩のような独り言のような言葉をつける表現活動をしていました。彼女が撮る写真には息吹があって、私も表現することの楽しさや厳しさ、言葉の持つ力はここでかなり学習したと思っています。

ふたりで作った作品はあっという間に溜まり、ブログにUPしていたのが某編集者の目に留まったとかで、またまたいきなり彼女が夢見ていた個展を開くことになったのです。場所は表参道。
しかし、準備を進めていたさなか。

早朝、パソコンに🚩の付いたメールが届きました。
アドレスは彼女。
しかし文面を書いて送信してくれたのは、彼女のご主人でした。改行もままならないくらい焦ってタイピングしたのがうかがえました。まるでニュース速報で流れた訃報のように「昨日未明に、妻〇〇が逝去しました」と。
嫌な汗が出て震えを感じながら読むと薬による自死だと。一瞬頭が真っ白になり何も聞こえなくなったあの感覚は忘れません。

何がいいたいか。
自ら本気の死を選んでしまう人こそ、遺書もなく、予兆さえ感じさせないくらいに周囲に気を遣い過ぎている。
こちらが救う間もないくらいに最後まで笑顔でいる。
そして、居なくなってしまう。
止められたくない、本人にとってそれは譲れない意志なのかもしれません。

私はmemento moriという卒業制作をやっと仕上げまできたところなのですが、独自の死生観を子供の頃から持っていて成長するごとにその想いや悲哀、怒り、慈悲を手描きの画をデジタル化して曲も作りSEに載せたものにしています。
友人をふたりも自死で失くしてしまい自分自身に何か欠落したものがあっていつもこうして救うことができないのだと責めざるを得ない。
しかし亡くなった人は帰らない。
ならば、このmemento moriに埋め込もうと決めました。

人は一生懸命に生きているから死にたいと思う日もある。だけど実行しないのはまだ本当の絶望ではないからなのだと、こんなのは序の口なんだと溜息をついてはまた生きる。その繰り返し。
絶望を感じて彼らはきっと居なくなることが怖くなかったのだろう。明日を迎える方が絶望でしかなかった。
なんて哀しいことなのでしょうね。
そして救えないほど、人は無力なのだなとも。

ここまで書いて決して暗い気持ちにはなりません。
その期間を乗り越えて今、こうしてただ記しています。

memento moriとは死を忘れるなという意味ですが、
裏を返して私は「死がいつ訪れようとも悔いが残らないように素直にすべきことをして、周りに感謝をし、優しく笑顔で最期まで生きよう」と解釈しています。

大切な人たちの遺したものを持って、私はこの先も最大のライバルである自分と共に生きていくのだと思います。

輪廻転生は寿命を生き切った者ができるらしいです。
つまりゲームのように途中でリセットしたらゲームはまた同じところでリセットするループになるとか。

諸説あるのでしょうけど、私はそれを信じています。
生きましょう、できるだけ。
必ず救ってくれる人がいるはずだから。