楽になる生き方第7話
地元に帰ってきて、状態は最悪だった。
テレビで関西の芸人さんが言っていることが自分の事を話していると感じる、思考電波という、実はまだこの頃は病状はついてなかったが、のちのちにつく、今で言う統合失調症の急性期の症状がでていた。
が、この頃に、大阪の年上の女性と文通していた。
女性は、ワーキングホリデーという制度でオーストラリアに行っていた。エアーメイルで文通していた。
私はこの頃その女性の手紙とあるスパースターの芸能人のコンサート行ったりして助けられていた。
父が少し前から自営業を立ち上げていたので少しワープロで事務をしたりして働き始めた。
大阪の女性と文通が進み、海外にいるその女性に手紙で告白をした。
その人らしくはっきりと断わってくれた。その断り方もその女性らしく凄く私の事を尊重した上で気持ちを伝えてくれて今だにその方は尊敬している。
地元に帰りまた、生まれた場所で4歳までずっと一緒に遊んでいた子が亡くなったのをわかり腰が砕けるくらい号泣した。その子が、脳腫瘍にかかっていたのは、中学生にあがるくらいに、親に聞いていた。親はその子のその後を一切言わなくて、いつも気にしていた。私はあまり自分の感情をだすタイプではないので、後で精神科の専門のナースに幼少期に自分の中で解決出来なかった事柄や、きつすぎる環境が、パーソナルな部分に、純粋な統合失調症のドーパミン説以外に、薬以外に心理的アプローチが必要な例になると話てくれるのだが。私が、この頃から、環境(厳格な家庭環境)や、解決出来なかった、多分無意識で1番大切にしていた人の病気と死は自分を壊して行ったんだと思う。
そしてやはり、医療にも人の力を超えた存在の力が、存在するのは、考えが今はあるようだ。
そして、地元に帰ってから、何ヶ月かたったある日、同級生とスノーボードに行く予定があった。
そこでまた、昔あっていた、幼なじみの女の子だった。
すぐにお互いに同じ幼稚園で、同じ小学校で、なかよく幼稚園で一緒に撮った誕生日会の写真が家に飾ってあり、ずっとみていた顔だが、当たり前に綺麗になっていた。
帰りに私の実家に友人と3人できて、うちの両親とも話ていた。その子の事はやはり母も覚えていた。
その三日後に私から付き合って欲しいと伝えて、付き合い初めた。
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