楽になる生き方第5話
関西には、初めて受けた衝撃的な出会いが多数あった。
奈良の寮に入った。
学校入学した当初に泊まりの親睦会がアミューズメントパークみたいな場所で行われたが、ホントに関西弁は早口だし、よく話すし、寝言でも突っ込んでるし、他の地方から来た人から見たら、何がおこってるのか?ビックリしっぱなしだった。
しかし、寮で次第に友人が増えていき、関西上陸から3カ月した頃には、大阪にもなれてきて、寮の仲間達が最高に楽しい思いでだ。
学校はなかなか馴染めなかった。浪人してる分みんなより若干自分が年上だとか、やはり集中力がまだなくて勉強ができない、などがあった。
だが、寮の友人も地方から来ていてどんどん他の友人などと飲み会を毎晩のように開いてくれて、毎晩宴会だった。
この頃にバンド、などを遊びで初めてたりしていた。
実は19歳から格闘技もならっていたのでこちらの本場の道場でもしごいていただいていた。
ホントに笑った。寮や、学校で。
特に寮では。
一生分笑った。
そして気がつくと、この頃は被害的な捉え方が少なっていた。
まさに、環境の整備で、体調が良くなる体験をこの時に初めて味わった。
関西は第2のソウル故郷というよな感じだ。勝手に思っているだけだが。
一年が三分の二すぎた頃に、私の中では、寮の他の仲間は私より一年先に寮に来て専門学校に来ていたので、出会ってから一年でそれぞれ地元にかえり、私はほとんど英語の勉強が進まなく、ある学科が一つランクを落とされてしまって悩んでいた。だいたい専門は一年間で100万はかかるし。
バイトを始めた。
交通警備員のバイトを冬にはじめた。
何回目かのバイト経験があったが、このバイトは当時でもブラックの質が違いすぎた。
まずは入ってしばらくしてから、三日三晩寝ないで働かされた。
39度の熱が夜に出た時に会社に連絡いれて、熱が40度あるので明日休みます。と言ったが、死なないからきなさい、言われた。
普通に39度あっても10時間くらいは働いた。
まだ私はいい方で、凄い人は一週間寝ないで働いたり、前の日に車に足ひかれて折れていても働いていた。
もう、ダメだと思い一カ月後辞めた。
それからすぐに寮のみんなが実家に帰って行き、私は、学校を退学して、奈良の寮から、大阪の西成区に引っ越していた。そこで働きながら、お金を貯めて留学する目標をもった。
引越してから、難波の駅地下で歩いて求人を探して、喫茶店で働き始めた。
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