悪魔が来たりて正論を説く

生まれてこのかた、自分の人生を生きているという感覚がない。

誰かの人生、とまでは言わないけれど、自分の人生が人ごとのよう思えて仕方がないのだ。だから、人ごとのように深く興味が持てないし、どうでもよいとさえ思うこともある。流されるように流れたいままに生きてきたような感じがする。みな計画的に生きているのだろうか。計画が思い通りにいかなくなったらどうするのだろうか。やり直したり、巻き戻したりできない不可逆な人生とみんなどうやって折り合いをつけて生きているんだろう。

18歳で大学を辞めた。20歳前半で性別を変更した。OLになった。20代後半で大学に入りなおした。こうして文字にすると自分の意思を強く持って生きているように思えるど、実際は全然違うように思う。

人生にまるで計画性がないのだ。設計図、スケジュール、マイルストーンと言えるものがまるでないのだ。キャリアハプンスタンスといえば聞こえはいいかも知れないけれど、結局は行き当たりばったりのように生きてきたように思う。みんなそんなものなのだろうか。

20代の終わりの夏にとあるお稽古ごとに通っていた。専業主婦マダム系の方が多いお稽古で、私はお教室で若い部類の一人だった。「お勤めしながらなんて偉いわねえ」とマダムに言われて何とも言えない気持ちになった。お教室の先生からは「結婚は考えているの?」「子どもはタイムリミットがあるからね」「女のひとは結婚する旦那さんで生活が変わるからね」などとことあるごとに言われるのがうんざりして1シーズンでやめてしまった。お稽古は好きだったけれど、毎回そんなことを言われて身が持たなかった。マダムたちの憩いの場に、自分のような未婚の、勤め人がいてはならない気がした。あのマダムたちは人生の生活設計をしてきたのだろうか。どんな人と何歳までに結婚して、子どもを何人設ける。子どもの学校や習い事など、人生のライフイベントのたびに次から次へと自分の人生の設計図を描いてきたのだろうか。そうして幸せになってきたからこそ、妙齢の結婚もせずにのほほんとお稽古ごとに通う私を見て心配していろいろと忠告してくれていたのか――

私の思う最高の人生とは何か。どんな仕事がしたいのか。どんな生活をしたいのか。 なんとなくはあるのに、深く考えることが怖くて、それを目指すのが億劫で目を背けてきただけではないのか。行き当たりばったり、なんて都合の良いことを言って現状に甘んじて逃げているだけの臆病者ではないか。マダムたちのたとえをさも悪のように持ち出しているけれど、マダムたちのような生き方だって否定されるものではないし、計画性があるなんてすばらしいことじゃないか。お前はそうやっていつも人の善意や成功を悪と見て自分の何もできないことを正当化する癖があるようだな。いい加減もう、自分の人生を生きてくれよ。


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