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復曲能「重衡」:いま、よみがえる平家の武将

『平家物語』に登場する、平重衡(たいらのしげひら)のことをご存じでしょうか?

2022年6月9日(木)、15日(水)国立能楽堂にて、復曲能「重衡」が上演されます。

故 浅見真州追善公演 第16回 日経能楽鑑賞会 能「重衡」・狂言「無布施経」
故 浅見真州追善公演 第16回 日経能楽鑑賞会 能「重衡」・狂言「無布施経」|日経主催のコンサート・オペラ・舞台 (exhn.jp)

2023年7月9日(日)国立能楽堂にて開催します。
故浅見真州三回忌追善 代々木果迢会別会
代々木果迢会別会 | 銕仙会 (tessen.org)

追記:2023年6月20日

「重衡(別名/笠卒都婆)」は15世紀に成立後、500年あまり上演されませんでしたが、昭和58年(1983年)12月、橋の会で復曲されました(シテ 浅見真州)。復曲とは、現在上演されていない曲(番外曲)を復活して上演することです。
今回の公演は浅見真州師の追悼公演で、金剛流二十六世宗家・金剛永謹師と観世流シテ方・片山九郎右衛門師が舞台に立ちます。
金剛流では「重衡」の上演は初めてとのことです。

重衡は平清盛の五男で、『平家物語』では、武人として功績を残しており、また文化人としても教養が高い人と描かれています。
今回は、その重衡についてご紹介します。

南都焼討(なんとやきうち)

重衡のエピソードとして有名なのが、「南都焼討」でしょう。
重衡は父・平清盛の命令により南都(奈良)の寺院を制圧することとなります。
当時、東大寺や興福寺では僧兵がおり、戦いが長引いたため、戦術として寺院の一部を放火した結果、大規模な延焼を招いてしまったのです。

源平合戦

墨俣(すのまた)川の戦いや水島の戦いで源氏に勝利しますが、一ノ谷の戦いで大敗し捕らえられてしまいます。
鎌倉へ護送されますが、源頼朝は重衡の器量に感服し厚遇を受けることになります。
北条政子は重衡をもてなすために千手(せんじゅ)という女性を遣わしました。この千手がシテ(主役)の能「千手」は現行曲として上演されています。
翌年、壇ノ浦の戦いで平氏の一門は滅亡します。

重衡の最期

南都焼討を憎む人々の要望により、重衡は鎌倉から奈良へ送られることになります。
『平家物語』では、護送中の山科の日野付近で妻の藤原輔子(ふじわらのほし/すけこ)と再会します。何か形見を渡したいと思った重衡は、額にかかる髪を切って渡し、和歌を読み別れを惜しみます。
この場面は『平家物語』の名場面の一つです。
その後、重衡は木津川で斬首されました。

上記の日経能楽鑑賞会のために、檜書店では『〈重衡〉上演資料』を作成いたしました。
〈重衡〉上演資料 (shop-pro.jp)

復曲〈重衡〉上演資料 (1,000円(税込))

こちらは、『能〈重衡〉小考』『「重衡」の詞章(橋の会特別公演で昭和58年12月6日・12日に上演されたもの)を掲載しています。
(日経能楽鑑賞会の詞章とは異なる場合がございます。)
重衡がどのように能で描かれるかが分かっていただけると思いますので、ぜひご覧ください。

また別の論考に下記がございます。

「宗教芸能としての能楽」
 能《重衡》の表現と思想―「寒林に骨を打つ霊鬼は」の句をめぐって(猪瀬千尋)

宗教芸能としての能楽 (3,300円(税込))

宗教芸能としての能楽 - 檜書店オンラインショップ (shop-pro.jp)

『平家物語』を題材とする能は修羅(しゅら)物と呼ばれ、シテである武将が死後に落ちた修羅道の苦患(くげん)を見せます。
この「重衡」でも修羅の苦しみを僧に伝え、回向(えこう)を願います。

重衡が焼討した興福寺では毎年春・秋の2回、能楽が奉納されています。
浅見真州師は能「重衡」を奉納したいと興福寺に伝えたところ、異論はありましたが、興福寺の僧侶がこれを受け入れ、平成11年(1999年)10月に上演が実現しました。
この時、重衡のための法要が行われ、戒名も授けられたとのことです。

修羅道に落ちた重衡も救われたかもしれませんね。


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