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君の様に鳥が啼く 記録note from函波窓




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君の様に鳥が啼く

去年の十月に今回の企画はスタートしました。観劇に行った先でたまたま小崎さんと遭遇し、そのタイミングで来年は脚本を別の人に頼む企画を考えているとおっしゃっていて、それなら是非、と挙手し直ぐにコラボが決まったのです。
そのまま居酒屋に行って、打ち合わせ兼飲み会をしました。脚本を誰かに預けるときは、基本的に相手方の気になっていることや今形にしたい想いなどを聞いてからあらすじを考えるようにしていまして。今回も小崎さんとそのようなやり取りをすべく、そして美味しいレモンサワーを飲むべく、僕らは居酒屋へと入りました。

そのなかで、「SNSなどで覆面を被った多くの人が攻撃してることへの怖さ」「自然災害のなかの死とその関わりかた」「映画のジョーカーについて」「田舎でのいじめにおける閉塞感、そのことによって生じる家族との関係性」などの話が出てきました。こういう話し合いでは、やっぱり自分一人では出てこないアイデアがいくつも出てくるなと常々思います。

今作に、記憶を質屋のように売買できる「カタミ屋」という架空の商売が出てきていましたが、これは実は年が明けてから浮かんだアイデアでして。昨年の打ち合わせでは、善意や悪意の綿毛を飛ばす話にしようとおもっていました。その綿毛に当たると自分のなかの善意や悪意が綿毛に込められていた分だけ増える、というようなものですね。我ながらどうやって舞台にするんだ、とは思ってました。無理じゃないかなーー、って薄々は気付いておりましたが。

ただ、小崎さんとの話のなかで昨今の善悪の判断基準やそれに対する攻撃性についての話が多く出てきていたので、そこからは物語が外れないようにと考えていました。そしてそのうちに、急に「罪と罰」の一節が浮かんできたんです。


選ばれた未来の支配者たる者は古い法を乗り越えることができる


というものです。
自分のことを天才だと盲信していた青年が、生活の困窮から逃れる為に、金貸しの婆さんを殺すところから始まる、ドストエフスキーの名作小説。瞬間、これだと思いました。
これへのオマージュを今ある材料に織り混ぜて本を完成させよう、と考えていたのですが、野田さんが20年ほど前に罪と罰をオマージュした舞台をやっていたことをふと思い出しました。あれはほんとに面白かったですねー。僕は大竹しのぶさんのバージョンがとても好きです。
折角やるならそれとは違う視点から善悪について描きたいと思いまして。ここに三島由紀夫の「金閣寺」とライオネル・シュライヴァーの「少年は残酷な弓を射る」などのテーマも借りてくることにしました。
そうこうして、今回は罪と罰のその前日譚のような話を書こうと思い至りました。つまり、罪を犯し罰を受けることになったとある青年の、そこに至るまでの経緯を丁寧に描く作品にしようと思ったのです。なるべく愚直になるべく自分を鈍感にしながら書きました。
果たしてそれは書けたのでしょうか。道半ばだったでしょうか。まだ自分では分かりません。


今回の登場人物には乾の妹や伊佐見の兄といった、名前が出てくるのに姿形は見えない登場人物を本の中に配置しました。脚本の中にブラックボックスを作ろうと思ったんです。彼らは深く登場人物達の心に焼き付いているのに、一切作中で出てこない。これは単純に本の奥行きを広げる狙いもありましたが、日本の土着的な湿度を再現したいという気持ちもありました。田舎に行けばいくほどよそ者や外れるものを排除したい、その気質が高まるような気が僕はしています。見ないように避けるくせに、必ず話題にはのぼる人々。そういう陰険な、自分を身を守るための目線を見ている人の中にも共有できたらと思いました。これ不思議と都会育ちの人にはなかなか伝わらないんですよね。やっぱり田舎独特の空気なんだと今回改めて思いました。

ホームレスだったメイトは特に扱いが困った登場人物でした。直感でホームレスを出そうとは最初から決めていたのですが、その理由が自分でもいまいち分かっておらず、最後まで立ち位置を悩んでいました。
「海亜の入れ物としてのメイト」にしようと決めたのは、ほんとに脚本を修正している最後の最後の段階で、です。この話には世間から忌諱の目どころか、自分の世界にいないことにされている存在が必要なのだと、そのとき感じました。歩いているときにちら見したホームレスの人々を己の視界から消すとき、それが一番の罪だと人々は自覚しているのではないか、と思ったからです。
この本には積極的に他人と関わろうとする人ばかりが出てきます。でも現実世界では何かが起きたときに見て見ぬふりをする機会のいかに多いことか。距離が離れれば離れるほど、違う誰かに想像力を働かせることは困難になっていきます。だからこそ、なるべくこのフィクションを現実に近付けるための存在として、メイトが出てきたのだと僕は思っています。

小崎さんとの打ち合わせの中から出てきたアイデアを形にしたつもりでしたが、思っていたより自分の体重の乗った本になっていました。終わってから考えると当たり前のことではあるのですが、やはり手癖や書きたいものへの興味みたいなものは自然に生まれるのだな、と。他人とやるとその視野が広がるだけだと、改めて知れたのは良かったです。
またいずれコラボできる時を楽しみに、これからもインプットを進めていきます。また何卒よろしくお願いいたします。

函波窓 (ヒノカサの虜)

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