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社会がみえない話。

今日、母にLINEでムッシュ熊雄のスタンプを送ったら、「ムシューダw」と返ってきました。お母さん世代も「w」って使うんだなあ、と思ったけれど、そういえば最近の人は使わないんだっけ。「草」ですか?流行りは。それとも「草」ももう古いの?言葉の移り変わりというものは早いので、ちゃんと興味を持ってチェックしておかなくては完全に乗り遅れてしまう。


わたしはまだ23なので(まだと思いたい)、適当に生きているだけでそれなりの情報が入ってくる状況下にかろうじているわけだけど、これがもうあと数年もすれば、努力をしないと世の中の流れを掴めなくなってくるのかもしれない。


と言うのも、人間それぞれの視野を、自分、対人、社会と3つに区分するなら、わたしはどこまで頑張っても対人までしか見れないのだなと、ここ数年でよく実感したの。


「あなたのビジョンを聞かせてください」とか「この社会をどういう手段でどう変えたいですか」とか「あなたが死んだとき、どういう人だったと言われたいですか」とか。


まあこの手の質問というのはよくあるもので、大学生になったら一度はこういう質問をされる羽目になるのだけれど、聞かれるたびにどうもピンとこない。


自然な形で、社会に対するなにかを考えたことなんて一度もない。自然に思い浮かぶのはいつも自分のことか、自分の周りの人間のことだけだ。顔も名前もしらない、なんの接点もない人のことを全然想像できない。そしてそういう人間の集合体がどんな動きを成しているかなんてさらに想像がつかない。


だから社会に対してどういうアクションを起こしたいか、どういう結果を残したいか、みたいな質問をされた時には、上っ面な回答しかできない。でもね、そういう人って結構いると思うのよ(思いたい)。


こういう視野の広さの問題はたぶん、動かしたりはできないのだろうなとなんとなく思っている。
どの時点で決まるのかは知らない。生まれた瞬間にもう決まっているのか、幼少期のどこかのタイミングで決まるのか。とにかく、かなり根強いと思う。


これに関しては根拠なんてない。
ただなんとなく、昔から自分や周りを見てそう思っているだけ。ただの勘。


それでも社会を見ることができる人にはなってみたいと思うし、諦めたというわけでもないので、どうにか足掻いてはみたい。行動範囲が狭いからなのかな。よくわからないけど、ちょっとみなさんの意見も聞いてみたいところです。

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