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つめたい人

わりと毎日たのしく元気よく暮らしているつもりなんだけど、この前ひとから「つめたそうだもんね」と言われてしまい、わたし、そんなにつめたそうかなあとしばらく考えた。


「こんなに元気いっぱいなのに?」と聞いたら「そういう人ほどつめたかったりする」と返ってきて、なるほど思った。


そういえば「人に興味ないでしょ」とか「心がこもっていない笑い方」とか思い返せばいろんな人から「つめたい」に代わる言葉をなんども言われたことがある。


でも正直、人間に興味があるし、笑うときは当然おもしろいから笑っている。というか、あまり披露する場面がないだけで、とりあえずやり過ごすための笑い方はおそらく別にあると自分では認識している。そういう時はうまく笑えないので、普段とは全然ちがう笑い方しかできない。普段を知る人が見ればその違いは一目瞭然だと思う。


それなのに、これだけ言われるのはどうしてだろう。もしかして、自覚していないだけでほんとうは全然興味もないし、心もこもっていないのかもしれない。なんて、いろいろ不安だったけれど、よくよく考えてみると、「みんなそういう面があったりする」が正解な気がする。


みんなそれぞれ、つめたさを持っていて、それに近しいなにかを人から感じた時に、「あ、つめたい」と判断するのかもしれない。だって、自分の持っているつめたいに近いものにしか、つめたいと判断できないと思うの。


それこそ、冒頭で話した方なんて、声も大きくて明るい雰囲気の人なの。でもふとした瞬間に表情がこわばっているようにみえるというか。わたしも基本は努めて明るく生きているんだけど、実際かなり暗い性格だったりするので、そのあたりが似ていると判断されたのかもしれない。


これはなんとなく言語化しやすいものだったけれど、こういう「つめたい」の感覚はもっともっと複雑であることが多いように感じる。

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