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最近思うこと。

11月2日
ずっとブログを書けずに過ごしてた。役に立つ文章をとか、これ役にたつ内容かなとか、考えているうちに手が止まり時間が過ぎてしまって。
私が自分に投げかけた問い、に対する返事のようなものが次々とやってきている、そんな感じがしている最近です。
ブログが広く多くの人たちに読まれて役に立ったらいいとか、ブログから出版につながっていけばいいとか、もうそういったことは置いていこうと思う。
人が読みやすいように体裁を整えたり、写真やイラストを挟んだり、目次を置いたり、そういうのも私はできないのだ。読んでもらえなかったらどんなに良い文章でも価値はない、ってことだろうけど、もういいのだ。大体良い文章を書いてるなんて思ってるのか自分のことを、って毒を吐きたくなるよね(笑)
私が所属しているウェブ心理塾というところでは、さまざまな学びを仲間と共有し切磋琢磨している。師のやってきたことは圧倒的で、模倣していけば結果は出る。仲間が次々と教わってきたことを素直に模倣し、徹底してやれることやって試行錯誤もしていきながら素晴らしい結果を出している。
だから素直な人はすごいと思う。私は今まで一人で試行錯誤をしてきて結果が出なくて、素直に真似しようって思っても結局それもできなくて。もちろん徹底的にやれることを全部やる、という努力もできなくて。自分が何をしたいのかしたくないのか、どうなりたいのか、何が好きで何が嫌いで、何が欲しくていらないのか、なんて全然わからなくなってずいぶん長い時間が経っていた。
つまりは、スタート地点がすでにずれているのだった。素直に模倣する前の問題だし、模倣することさえも全部手取り足取りやってもらわないとわからない、なんてレベルなのだ。
今日は映画「線は、僕を描く」を観に行った。その中で湖山先生が主人公に「模倣は上手くなった。これからは自分の線を描いていくんだよ。菊の向こうには何が見える?本質を見るんだ」みたいなことを言ってたのが心に残った。残ったと言いながら正確な言い回しが出てこないんだけど(笑)主人公はもちろん、この場面の前に何百枚も水墨画を描きまくってて、これが努力とか全部戦略とかそういうことで、私は何一つ努力したりたくさん続けたりしてきたことないなって心が痛くなった。でも仕方ないのだ、私はそういう人生を歩んできたのだし、こうした並大抵な努力をするのとは別の道を選んで結果を出すタイプなのかもしれないし。
映画では水墨画を描きながら自分の心の中を表現するのだと言っていた。自分の心の中を表現するのは、水墨画でもいいしブログでもいいし、人によって選ぶものは違うのだろう。それらが人の役に立つのかどうか、人の心を打つのかどうか、それは表現したものに命が入っていればそうなるのだろう、と思ったりしている。
1番表現したいもの、1番自分に合ってる表現手段、それを模索しながらブログを書いていくつもり。最近あったいろいろな出来事も医療の仕事のことも、ぼちぼち書いていきます。

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