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太朗丸の光り輝く人生行路

 動きに「キレ」があった。悔しい1点差負けにあって、27歳の頑張り屋、東郷太朗丸が光を放った。つい嬉しくなる。

SOほか、CTB、FBもこなす。この日はFBとしてプレー。「ポジションにこだわらず、チームをいい方向に持って行けるようなプレーを心掛けています」と充実感を漂わせた。

 前半20分過ぎ、負傷退場したFBブレンデン・ジャメンズに代わり、急きょ出場した。前半30分頃には、SO北原璃久のゴロキックに反応し、自らの左足に合わせて転がし、バウンドしたボールを捕った。小刻みなステップを切り、相手ゴールライン直前まで、約50メートルを独走した。流れを変えた。

 さらに正確なパントキックや、営利鋭いランで陣地を稼ぎ、後半34分にはうまくスペースをつくって、インゴールに飛び込んだ。トライ後のゴールも確実に蹴り込んだ。

 東郷はどちらのプレーも周りの選手を称え、「ただ自分は反応しただけ」と素っ気ない。「どんなにいいプレーをしても、最後の最後にチームを勝たせられないというのは課題なのかなと思います」

 箕内拓郎ヘッドコーチはこう、評価した。 「常に冷静なプレーをしてくれる。いつもとは違うポジションでの起用だったのですが、チームに安定感を与えてくれたのかなと思います」と。 

 茨城・常総学院高、流経大とチームの主力として活躍した。だが、日野自動車に入社してからは、2年間、SOとして公式戦の出場機会に恵まれなかった。CTBもやるようになった3年目の2020年1月に初出場すると、バックスのマルチプレーヤーとして主にリザーブでメンバー入りするようになった。

 マインドが変わった。「(社会人)1年目は、ラグビーだけをすごく思い詰めていた。考え過ぎて、おなかが痛くて、夜、寝られないこともあって」と述懐する。練習のオフの時も、グラウンドに行って、ひとり筋力トレーニングに打ち込んだ。

 「自分にはそれが合っていなかったんです。でも3年目ぐらいから、練習を思い切って休んだり、ラグビーから離れるようにしたりしたら、ちょっとずつラグビーがうまくいくようになったのです」

 やはり経験は宝だ。精神的な余裕が、プレーの成長を促した。チームの中では、数少ない生え抜きの社員契約選手(架装・特装部)。「ラグビー、ラグビーではなく、ラグビーと仕事をしっかり両立させてやりたい」と言う。

 実は、筆者は、東郷が地域クラブの『ワセダクラブ』の小学生時代、父ともども取材したことがある。まっすぐなラグビー少年だった。当時、早大の主将を務めていたのが山下大悟(現・日野RDバックスコーチ)である。これも縁だろう。

 名前の太朗丸は、「たろうまる」ではなく、「たろま」と読む。いい響きだ。父の「太く、朗らかに、丸く育ってほしい」との思いが込められている。「丸」は船名でよく見かける。“船のように少しずつ、いろんなことを経験しながら、ゆっくり育ってほしい”との願いもあるそうだ。

 まだ成長過程。オンライン会見で、白マスク姿の東郷は言葉に力を込めた。

 「やっぱりディフェンスであったり、キックであったり、パスであったり、10番(SO)はいろんな判断を求められるポジションだと思う。だから、まだスキルが足らないというのはありますが、ゲーム感覚を研ぎ澄ませていかないといけないのかなと思います」

 ラグビー・ラブの父や家族、ファンの声援を追い風とし、太朗丸が帆柱を立て、荒波の中、ゆっくり航路を進んでいく。

TEXT BY    松瀬学


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