【#やりたいことを探す】 5.やりたいことを探し、振り返る
noteでちまちまやっていた「#やりたいことを探す 」シリーズについて。
ネーミングの通りやりたいことを探していろいろやったり、考えたことを記録したり。
ただし、この頃更新停滞気味。
心ではこの年末~新年明けにスピード感を持ってやりたかったし、書きたい気持ちはあったんだけど、手がうまく動かなかった。
やりたいことはやってみた。さあ書こう、とパソコンに向かうものの、ぐるぐる悩んで無限ループ。
果たしてこれは「やりたいことを探す」なのだろうか…そもそもやりたいことを探すとは……と。
はて、なんでだろう。というかやりたいことを探すことについて、なんで書こうと思っていたんだっけ?
ちょっと振り返る。
"何か"を迎えに行くつもりで。
#やりたいことを探す の始まりは2019年10月から。
きっかけは、フォロワーのナカリさんとお話したこと。
ここでの"やりたいこと"はもう一段階上の話。私の人生、何をメインにして生きていこうかな、みたいな。
あまり壮大な話に持っていくつもりはないけど、何か自分で満足できる大きさのことをやりたいという気持ちがある。
こんなことを書いている。ほんとうに変に壮大な話に持っていくつもりはなかったし、いまもない。
ただやりたいことを自分の中で大きな比率でやっていたいだけ。
もっと言えば「こんなことをやっている自分、いいな」と感じる好きな自分でありたいだけ。
不思議なのが"何か"がわからないのに、わからないけれど、やりたいのだ。
しかしわからないものはわからない。
"何か"は向こうからやってこない。どうしようもない。
だから、まずやってみる。やってみてよかったらもっとやる。やり遂げる。もしくは他と組み合わせてやってみる。
"何か"を迎えに行くつもりで。
自分の一部を見つけた。
やりたいことを探す過程には、自分と向き合うことが含まれるだろう。
この自分と向き合う経験は、きっと今後自分が楽しく穏やかに生きていく道しるべになると思う。だって自分を知ることができたら、もっと自分に合わせて生きやすい環境をメンテナンスできるから。
これまで#やりたいことを探す ではイントロ含め6つのnoteを書いた。
そこで、忘れかけていた感情や、やってみて「自分意外とできるじゃん」の感覚、今できる/できない物事を知ることができた。
自分の一部を自分で見つけた。まだまだではあるけれど。
私をもっと見つけて、理解したら。
自分と自分の中の他人の間で絡まっている糸を解いて、もっと心地よく生きられるかな。できたらいいな。
・・・
何かを小さくても、少しでも始めてみようと決めたこと。
ふっと「やりたい」と感じた心の取っ掛かりをつかんで、形を見つけたい。
けんすうさんの以下noteに触発されていたんだろうなあ。
当時はまさに「やってみようと言われても、どこから何をどうすればいいのかわからぬ……」状態が強かった。
今改めて読んでみても「おおー、やってみようぞ」となる、説得力がすごい。
やりたいことはわからないし、そもそも存在を知らないかもしれない。
だからやる。やってみる。
今まで生きていて「やりたい」気持ちで行動に移したことが少なかったから、いきなり大きく出られないのは当たり前。
大したことなくても、ちょっとでも、地味でも。昔の私が聞いたら絶対「えっそんなことやったの、すごい」って言うよ。
ここでやったことはお試しのお遊びで終わって、一生やることはないかもしれない。そんなこともたくさんあるよね。
逆に、やってみたことできっかけが生まれて、ずっと関わることもあるかもしれない。
やりたいことを探して行動して、書く。
書くことで、やってみたこと本体に私の中で「定義」が付く。
やってみるだけでも何かしらの感想は芽生えているだろうけど、書くことでさらに強く定義づけられるんじゃないかと思う。
例えば食べ物を調理して「(○○を)料理することは楽しい、あれを思い出す、あれの疑似体験っぽい」と書いたらその通りに意識してしまう、とか。
感じたものは煌めいていたはずなのに、文字にしたらどうしようもなくくだらないことかも。はたまた私の文章では書き表せないかも。重要らしく見せかけただけのハリボテができるかも。
それでも、書きたい。
ちっぽけな自分がばれてしまう恐れに立ち向かって、やってみたことの感想、あるいは何も感じなかったことを書いてみよう。
大丈夫。「定義」は一度に発した言葉で隅々まで全部が決まるわけではないし、何度でも変わるし、自分で変えられる。
しばらく経って自分で書いたことを見返したり思い返したりしたら、他の「定義」や意味が見えるかもしれない。
きっと、おもしろい。
ここまで読んでくださりありがとうございます。 スキやコメント、ツイートしてくださるとこっそり大喜びします。