未来について雑記(20190924)
少し前から、未来とか時間とかについて、「分かった」という気になりたいと思っているのですが、全く文章として成り立たすことのできる段階にないので、ひとまず現状を断片的に載せてみます。今後考えるための個人的なメモです。
以下、メモです。
・直線的な時間の表し方や、過去・現在・未来という三つの言葉に違和感がある。もっと時間の表し方は様々あっていい。結局どれも時間のことを表せない。過去・現在・未来という言葉。直線。時計の針。原子の揺れ。メトロノームの音。携帯電話の画面の動き。本が日焼けしていく色の変化。あの人が必ずここに来るタイミング。知り合いの顔の老け具合。直線で、この全部をくくろうとしている。全く違うものを同じと思い込むことによって、社会が成り立っている。
・常に未来の側から始めて、無限の可能性と身体とのずれを埋めようとすることで行動している。この「ずれ」が自分。内容がないのに、自分がいることを示そうとして、身体を一生懸命操ろうとしている。音楽を聴き終えるだろう私、と音楽を聞いていない私、との「ずれ」が体を動かして音楽を聴く。
・皮膚で区切られているように見える管を、「時間の変化に耐えて一貫して輪郭を保っている、一人の人間」と思い込もうとするところから、矛盾が始まっている。
以上です。
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