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複雑化の教育論

実は、この本の第二講にあたる話を凱風館で内田樹さん本人の口から聞いていた。そのメモが、残っていたので、noteにあげてみる。(話を聞かせて頂いて考えたことです。)

単純化を求められる公教育

若い先生からベテランの先生まで、保護者から管理職まで、ありとあらゆる人たちが単純化を推し進めようという傾向にある気がする。もちろん例外の人たちもおられるが。「分かりやすい授業をしましょう」「課題はシンプルにしましょう」「めあてとまとめを板書して、この授業で何を学んだかはっきりさせましょう」もう、うんざり。「学ぶ」ということは、本来、複雑であるものだ。「何を学びましたか?」と問われ、一言で言えるのは「学び」なんだろうか。それは、何を求められているかを考え、答えているだけじゃないだろうか。分からないまま、もやもやしたまま、授業が終わったっていいじゃないか。

「テストの点数を上げる」という分かりやすいタスクに捉われることは教育成果なんだろうか。

「結局、どう授業をすれば良いんですか?」と「型やハウツー、スタンダードに頼る授業」は良い授業と言えるのだろうか。「誰でもできる授業」を浸透させようとすればするほど、授業の質は落ちていくような気がする。なぜなら授業は生き物であり、複雑なものだから。それを簡単に形式化しようとするのは無理がある。

先生が怒る基準を4月に示し、それを首尾一貫することのなんとも言えない気持ちの悪さ

「先生、大切なことは何ですか?」と聞かれて「何が大切かはあなたが決めたら良いし、ひょっとしたら決めなくてもいいかもしれない」としてきた自分に自信がもてた、複雑なものを複雑のまま受け容れるという話。

管理コスト最小化

「筆箱の中身は〜だけにしてください」「教室移動は静かに並んで移動しましょう」これらは何のためにやってるか、と問われれば正に管理コストの最小化。子どもの自由を奪えば、コストは少なくて済む。学級経営のハウツー本は、すべて管理コストの最小化のための本なのかもしれない。何のための公教育なのか、が二の次になっているという虚しさ。そして厄介なのが、単純化を求めてしまう下の人間との需要と供給の一致。「上が言ったことをやれば良い」こんな単純なことは無い。

生産的なことができる=暇な時

だから現場からクリエイティブな発想が生まれにくい。発想は生まれたとしても、それにのっかったり続く人がいない。なぜならみんな忙しいから。
授業も同じ。ノートを写すことに忙しい子たちから生産的なことは生まれない。一度、ノートを写さすのをやめて、グループに放ってみたら良い。なんと生き生きと喋ることか。

合意形成は複雑で困難なもの

価値観の違う人間が集団生活を行う時に、譲り合うことは必須。夫婦間だって、「自分の価値観が絶対正しい」をしたらうまくいくはずない。30人も一つの教室に集まっている集団において、価値観がぶつかることは当たり前。そこで、子どもたちは合意形成を学んでいく。譲ったり、譲ってもらったり、を繰り返しながら。合意形成のプロセスは複雑なものなのだから、「多数決」という単純化したものばかりしていては、何も学べない。時間もかかるし、大変なんだけれど、折角多くの価値観をもった集団なのだから合意形成を学ぶ場にしたい。

解決できない問題を嫌がらないマインドをつくる

「結局、答えはなんですか?」と聞いてくる子どもたちのなんと多いことか(私は、そう聞かれたら必ずとぼけるのだけど)。問題は全て解決できる、答えは誰かが知っている、という錯覚。「答えが分からないと気持ち悪いんです。」子どもだけでなく大人からもよく言われる。いかに今まで「答えのある課題を解いて答え合わせをしてきたのか」がよく分かる。「すっきり」に重きを置くのではなく「モヤモヤ」に重きを置いたらどうだろうか。

システムの中でどう生きるかではなく、システムの外で生きる選択肢も示す

これは義務教育で非常に重要な視点だと思う。子どもたちは井の中の蛙で、自分たちが住んでいる世界が全てだと勘違いしてしまう。習い事などで他の社会を知っていればまだしも、「自分の学校」と言う集団に縛られて、生きにくい子どもたちが存在している。大人でも同じだ。「いつでもこの仕事を辞められる」と言う人は、強いし、「ここでしか生きていけない」と思い込んでしまう人は追い詰められていく。だから、私たち大人にできることは、子どもたちの外の世界を見せるとか、選択肢を示すとか、視野を広げてあげることが大事に思う。

保護者と教師の価値観は違くていい

よく、親と教師が同じ方向を向くのが良いと言われているし、私もそう思っていたのだけれど。親と先生に同じこと言われ続けたら、子どもの逃げ場所がなくなっちゃうと。確かに子どものうちに多様な価値観に触れることって大事だと思う。いろんな大人がいる中で、どんな大人になりたいかを考えていくのが本当の意味でのキャリア教育なんじゃないかと。もちろん、似ている価値もあって良いし、「ここは同じなんだ」と言うところがあればより説得力を増すだろうし。完全に一致させようとしなくて良いってのはその通りだなと思う。

教師は首尾一貫してはいけない

首尾一貫って良いことのように思われるけど、進歩してないってこと。絶えず変化する、成長する姿を子ども達に見せるというのも大事かも。

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