誹謗中傷厳罰化には反対です。

 誹謗中傷の厳罰化については、僕自身は反対派です。第一、誹謗中傷には、ごく一部の例外を除いて誹謗中傷される側に原因があると思う。8割〜9割は自己責任だろう。

 誹謗中傷される側が、中傷の火種を作って、自ら火を付けているのにも関わらず、いざ炎上して叩かれると、今度は被害者面して、訴訟をチラつかせたり、私追い詰められているアピールしたりするなど、自業自得なのにもかかわらず、私は被害者以外の何者でもないと言わんばかりに主張を繰り広げる。
 
 どれだけ他人の気持ちが分からない自分大好き人間なのでしょうか。少しぐらいでいいから、「自分にも否があったな」とか反省しなきゃならない。自分の立場、言動を考え直す機会が必要だ。炎上で被害者面しているだけではダメだ。

 そもそも、炎上するような言動を取らなきゃよかっただけだし、炎上中だとしても自分のエゴサーチをしなければ良かったのではと。勝手に炎上するようなこと言っといて、今度はネットの批判を気にしまくる、そして、それを自分への誹謗中傷だと履き違える。本当に自分が好きなんだなって、自分勝手な人間だと自ら表しているようなものだ。それほど自分の評価が気になるのか、それとも自分が良く思われていると期待しているのか。やっぱりナルシストである。

 もし仮に、場当たり的に誹謗中傷して、ストレス解消している人がいるとしても、そのストレス発散の場を潰さないでいただきたい。もし、誹謗中傷の厳罰化がどんどん適応され、少しの中傷でも取り締まるものならば、誹謗中傷でストレス解消しているような人たちにとっては、死ぬしか選択肢がないと突き付けられたようなものである。

 批判という名目で、少しばかり汚く罵ってもいいじゃないか。存在価値を否定してもいいじゃないか。その時の感情で言っているだけだから、少しぐらい時が経てば忘れてしまうだろう。そういうストレス解消の形があるということも、少しは認識してもいいだろう。受け入れるべきだ。

 むかつく人、気に入らない人なんて、自分の身の周りやテレビ、Youtubeの中などでも沢山いるだろう。でも直接文句を言える機会や自信がないなら、ネットにこっそり、そのムカつく人の実名とともに誹謗中傷してもいいじゃないか。自分なりに糾弾してもいいじゃないか。心の中に留めて、拗れてしまうよりはよっぽどマシだ。

ネットの片隅、言わば「トイレの落書き」みたいにこっそり書き込めば、少しはスカッとするだろう。そういう機会まで厳罰化で奪おうとしている。直接言えない一般の方にもっと優しくあるべきだ。

 時々ネットでの犯行予告のニュースが報じられているが、ネットの犯行予告なんて、ほぼ全て質の悪いイタズラだ。わざわざ警察に届ける必要は無いだろう。実際にネットに書き込まれた犯行予告通りに事件が起きたのだろうか。そんなことは一度も起きなかったはずだ。

大体、何か事件をしでかす奴は直接的というよりも、何も言わず実行してる。直接的に書いてる奴なんて、威嚇しているだけだ。口だけの奴だ。そんな奴の相手をするだけ時間の無駄。決して何も起きないはずだ。

 ネット内のモラルなんて、たかが知れているから、この厳罰化をきっかけに良くなるという期待はしない方がいい。誹謗中傷する人なんて自己満足でやっている訳なのだから、取り締まっても反省するわけがない。無法地帯のネット内は見てみぬふりが一番。ネットの書き込みが嫌ならば見なければいい。何故自分に関してエゴサーチをしてしまう?匿名で好き勝手書いているネットに救いの手を求めるな!それぐらい学習しないのか!

 という訳で、誹謗中傷の厳罰化については、無意味な愚策だと考えている。厳罰化したぐらいで中傷は減るのだろうか。ネットは中傷と共に生きてきたようなものだ。自分の全てを投げ出す覚悟で誹謗中傷する人もいるだろうが、ほとんど軽い気持ちで書き込んでいるのだから。

 こんな愚策を打ち出すよりは、正月に起きた北陸の震災に対しての打開策を打ち出したらどうだ。誹謗中傷よりも震災による被害を減らすのが優先だろう。こんな優先順位が分からないから、今でも政治家は「税金泥棒」と言われるんだ。分かったか、この税金泥棒!