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母になって

いわゆる田舎で育ち、

厳格な父と真面目な母と普通の暮らしをしていた。

進学校に通い、両親の勧めで地元の大学に進んだ。


就職のため、関東に出てきた。

大反対する両親を押し切り、勢いだった。

四年間付き合い、結婚しようと言ってくれた彼氏に別れを告げて。

知り合いもいない、お金も頼れず。

でも、私には若さと都会への憧れと夢しかなかった。



それから10年。

私には仕事しかなくなった。

その後、さらに長く付き合った彼氏とも別れ、自分のことが空っぽに感じた。

頑張った恋だった。でも解放されていく自分が分かった。ずるくて、汚い、恨み、妬みも感じた。人を好きになるって、こんなにつらいのかと。

好きになった自分を嘆いた。

つらすぎて、私の包容力は男性並みに育っていると、ある方に褒めていただいたくらいだ。あの恋が、私を磨いてくれたことに間違いはない。


地元に帰ることも考えた行動したが、うまくいかなかった。

仕事でもクレーマーに追い詰められ、仕事は淡々とこなした。

毎日泣きたかった。

休日は海を1人で眺め、4時間過ぎていた。今考えると、だいぶやばい。


そして、婦人科の病気になり、卵巣が腫れていると言われた。

悪性の可能性があるから、覚悟してと医師に伝えられ、

帰りの駅でぼろぼろと我慢していた涙が落ちていった。

検査して、片方の卵巣を取った。

たくさん泣いた。

私、ちゃんと真面目に生きてきたのになあ。

妊娠したかったなあ。私が何をしたって言うのだ。


仕方なく、そこで初めて人生を諦めた。

がんばらない。楽しいことしかやらない。

テキトー万歳。

休みの日もとにかく寝続けた。

寝るのに飽きたら、遊びまくった。

そのうち出会いがないことに気付いた私は、

髪をばっさり切り、ベリーショートにして婚活アプリに登録した。

仕事が忙しいので、一か月限定にして。


幸いなことに、出会いがあり、大好きな人ができた。

楽すぎる仏のような彼として結婚して、私は彼の存在に日々が満たされた。

婦人科に通っていたが、子どもはまだ出来なかった。

そのうち、マイホームを購入できた。

準備はできているんだけど、子どものタイミングではなかったらしい。

そうしているうちに、結婚して二年が経っていた。

夫は子どもを欲しがり、ずっと申し訳なく引け目を感じていた。

覚悟を決め、不妊治療も開始すると、

すぐ先生のおかげで妊娠、出産と私も母になることができた。



私も母になれたのだ。

35歳を越えても、母になることができる。

今でも夢のようだ。

夫の子どもを産む。

私が1番憧れていた、子ども。

どうやって育てよう。

これから「ひなた」を育てることで、私と夫の第二の人生がスタートする。

母として。親として。


この小さな生き物を

大切なひとを

守っていこう。

生かしていこゔ。

一緒に生きていこう。

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