【 #Vの宴2022 】”きっかけ”

初めましての方は初めまして、そうでない方はお久しぶりです。日向キタローです。

書くものが3件ほど溜まっていますがとりあえずVの宴の感想というかまあそういう系のを書かせてください。すぐに戻るから!!!!

個人の感想なのでめっちゃ偏るよ、許してね。


・いっぱい人に会いました


いっぱいひとに!あいました!

いやホントに。びっくりするほど人に会いました。まあそこそこ会っている人とか、なんなら1週間前に会ったとか、2週間前とかわりと直近だったり、「おめー2年ぶりくらいじゃねえか!!!」とか。お互い初めましてだったり、「ようやく会えたねえ!」とか。

自分でもびっくりするくらい出会いに囲まれてんだなって思いました。びっくりですよ、人と話すのが得意ではないので。それなのにあれだけ会ってくれる人がいるんだなあとかなりました。縁に感謝ですね。

DJとかオタクとかこんなに付き合いが生まれるとは思ってませんでしたね。人生何があるかわからないもんだ。

それこそ、あの空間の中にはお互いを知らない人がたくさんいるんですけど、それでの同じ音聞いて身体揺らしてんのめちゃくちゃいいな~ってなったし、それを”いいな”って思うことができる価値観を得れたのがうれしい部分でもあります。それも人との縁ですね。

Vの宴っていうイベント、音楽イベントと言うかクラブイベントと言うかですけど、個人的にはいろんな縁の集まったイベンでした。実際、意識の強弱はあれどそういうものだとは思いますけどね。全国各地からめちゃくちゃオタクが来たんですよ、そりゃあまあいつもよりも「わ~~~~」ってなるわいな。

生きている以上、縁っていうのは切っても切れませんが、それをよく感じることがここ5年とかであります。大学とか会社とかではあんまり感じないんですけどね。それの収束が1回、2022年5月21日にあった、みたいな感じ。



・演者さんとか


DJもライブパフォーマンスもめっちゃくちゃやばかったですね!そればっかりだよ。付き合いもそこそこ経過したオタクが演者でDJやってたり、7年くらいも付き合いあるやつがDJで出たりして。

タイテが出た時は、WHITEに根が生えるかなって思ってたんですけどわりとウロウロしてました。

たむさんもジョニへもCROWKもヒバナさんもYSSもぶぎぼも潮成実もワニコーもワイパさんもyosumiもてれかすちゃんもなにからなにまでWHITEはやばかった。どこいっても沸いてるし、ずっと熱量がやばかった。本当に暑かったですもん。

あずせの演出とかめちゃくちゃびっくりしたけどめちゃくちゃ良かったし、あとから聞いたら知ってるオタクが演出やってたステージもあったし、意味分かんねえ~ってなりますよ。

いろんな人が出演して、リアルもバーチャルもVRCもぜんっぶごちゃ混ぜで、資格情報的にはたくさんでしたけども、そんなもん全然関係なく全部が全部リアルだったんだよなっていう。あくまで自分は、っていう枕詞をあるていどの保険としてかけておきますけども。だとしてもあの日の出来事と自分の得たものは、出してきた側の次元がどうとかにかかわらずリアルでした。

フロアでDJしても、ライブがあっても、VRCからライブしててもぜーーーんぶ最高やったもんね。じゃあ一緒!!!!怒られるかなこの感想は…?




・”きっかけ”の話をしようか


タイトルにもしてますからね。

さてさて、演者の項目で飛ばした部分がありますよねWHITEの演者が。

まずは『浮遊信号』です。前身グループの時から、umaくんとあとりは大好きで、M3とかに行って新譜を買うたびに「ありがとう」って言ってる気がして、ちゃらんぽらん隊のときのライブも行って、すごく楽しかったんですよ。

あの時は上野のライブハウスで、チッタとは違う箱のサイズで、でも自分たぶん同じくらいの場所にいたんですよ。今回と前回(同じラインで騙っていいのかはわからないけど) よっと後ろの真ん中らへん。ステージに立って、フロアに向かって、時々向かい合って、大きく歌い上げる2人は本当にかっこよかったです。

ずっとあの2人は憧れで、文字を書き続ける一因になっている人たちで。だからこそ、あのステージを、あの空間を見れたのは本当に嬉しかったです。周りに友達いなくて助かりました、泣いてたし。見られなくてよかったぜ。

またライブに出るような事があれば、自分はまた行きたいと思います。


さて、もう1つ。『Itsuki Miyamura feat. 覆面忍者』です。

多分、1番の目的でした。優先度っていうわけじゃないけど、「これは見る」っていう意思を持って行くっていうの部分で。

自分は今、インタビューというものを個人で行ってこのnoteに投稿している人間なんですけど、それを始めた初期のころに自分に連絡をくれたのがItsuki Miyamura・宮村さんでした(気がついたら1年半ちょっと立ちました始めてから)。んでもってインタビューをして、記事を投稿して、なんだかんだで仲良くなって、しかも誕生日まで一緒っていうことがわかって、人の集まりの中に呼んでくれたんですよね、あの人。そこからいろんな縁が繋がって、クラブでも挨拶する人が増えて、それを起点にして自分の活動を進めるようになっていったんですよ。これはマジで。

多分、宮村さんに合わなかったら音楽への捉え方とかも今の価値観の一部にならなかっただろうし、多分Vの宴とかに行っても十全に楽しい!ってならなかったかもしれない。これは過程の話ですけど、でも可能性はあったわけで。

なので、あの日あの時、いろんなフロアに行って「楽しい~~!!!知らねえ曲でも最高~~~~!!!」ってなった一因は彼なんですよ。

そんな人がね、めちゃくちゃいろんな演者が出て、いっちばんデカイ広さのWHITEで、トリを務めるっていうこの事実ですよ。どうしようもない(いい意味)タイテ見てキレました。

覆面くんも宮村さんの流れで交流があったりして、そんな2人がでっけえところでぶちかましてて、たぶん彼らを初めて見た人たちも音聞いてノッてて、知ってる人たちもめちゃくちゃにぶち上がってて、最高の瞬間でした。

普段全然使わないスマホのビデオ機能めちゃくちゃ使って動画撮ったりして、あとから全部宮村さんに送りつけました。あとから自分でももっかい見たら被せで自分の声結構はいってて恥ずかしかったですけど。ガハハ。


さて、その流れできっかけの話を1つ追加します。演者じゃないよ。

自分のきっかけ、オタクが1人いるんですよ。その子がいなかったらインタビューなんて始めてなかっただろうし、ここまで交流関係が広がっていないと思います。その子に会ったのもちゃらんぽらん隊のイベントなので、きっかけは繋がっていくなって思いますね。

自分の気の迷いと勢いと、そのオタクがいなければ1年半ちょっとで27本くらいのインタビュー記事とか世になかったわけですからね。本当に(大事なときにはちょこちょこ言ってますけど)感謝しまくってるんですよ。


その自分の”きっかけ”がたくさん集まった特異点でした、Vの宴は。感謝と楽しいをめちゃくちゃ抱えて帰ってきました。自分も全然やってる方向性は違うけど頑張ろ~ってなりました。


そいじゃ、お疲れ様でした。


700円分のテキーラはマジで量が多い。イッキしちゃいけないです。

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