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私の愛するひまわり

2021年7月21日、私の最愛のうさぎが月に帰りました。13歳と11ヶ月でした。うさぎの平均寿命が7歳から8歳といわれているので、病気ひとつせずこんなにも長い間一緒に暮らしてくれたことは、本当に幸せなことだと思います。

あのこと初めて逢った時、ホームセンターのペットコーナーのうさぎが並んでいるのとは離れた、隅っこのケージにいました。気になったので店員さんに聞いてみると、兄弟に虐められて耳を齧られ、給水器からお水も飲めないので体が弱いかもしれない、長生き出来ないかもしれないと、そこに置いていると言われました。オレンジ色のロップイヤーの男の子。その時家にはネザーランドドワーフのチェスナットの女の子がいました。
「引き取らせて貰えませんか?」
うちにおいで。うちの子になろう。

耳にあった傷はいつの間にか治り、ごはんをよく食べ、去勢手術も無事に済ませ、先にいたネザーの女の子とは夫婦のように寄り添うようになり、後からうちに来たモルモットとも犬とも仲良くなり、気がつけば我が家のリーダーになっていました。
みんな、あのこのことが大好きでした。


撫でて欲しい時はぐいぐいと頭を押し付けてきて、ブラッシングがイヤな時は走って逃げ、野菜は何でも食べ、部屋で遊ぶのに飽きると私の隣で手足を伸ばしてお腹を出して横になる。時折見せるまるで人間のような仕草に、キミはうさぎなんだよ、と垂れた耳の間を撫でながら話しました。あのこと一緒に2回引越しをしました。

お月さまに帰る1ヶ月半前に、寝たきりになりました。その前の年から倒れる事はあったものの持ち直していたのが、起き上がれなくなり、朝夕方夜と、ごはんとお水を手で食べさせてあげる日が続きました。夜は膝の上に抱っこして、ブラシをして体を綺麗にして、名前を呼んで話をしながらあのこの温かさを感じていました。抱っこして欲しいと歯ぎしりをして呼んでくれる。おしりを綺麗にして欲しい時は手足をバタバタして呼んでくれる。それは間違いなく、「会話」でした。後から写真を見て気がついたのですが、抱っこしていた時、あのこの前の手はいつも私のお腹にありました。私は春から胃を悪くし逆流性食道炎に悩まされていて、少なくない薬を飲みながらの看病でしたが、1日3回のごはんの時間と毎晩1時間程のその看病の時間が、私にとって、幸せな幸せな時間でした。

朝起きると、あのこは眠ったまま、旅立ったあとでした。その日のうちに火葬の手配を済ませ、ひまわりの花を2輪買ってきました。
お花屋さんに入った時、あのこはひまわりだ、と他のお花は目に入りませんでした。
お見送りには、ひまわりと、ごはんと大好きだった乾燥にんじんや野菜を持たせました。

あのこが月に帰ってから、長らく悩まされていた胃の悪さはすっかり良くなり、あのこの前の手は私のお手当てをしてくれていたのだとわかりました。

YOASOBIの「ハルカ」を聴くと、いつもいつも、あのこを想うのです。
もうすぐ3ヶ月が経とうというのに、涙が出るのです、あのこは、「ハルカ」を私と一緒に歌ってくれるかなと。


「思い出すのは
出会った日のこと
誰の元にも帰れないボクを
見つけ出してくれた
救い出してくれた
忘れることない君の笑顔」


耳に傷のあった、お皿でお水を貰っていたキミ


「ねえ
君のそばにはもう
たくさんの愛があふれてる
だから今は
どうか泣かないで
あの日のように笑顔で」


ごめんね、まだ涙がでるよキミを抱っこしたいよ

「いつまでも
幸せで
いつまでも
愛してるよ」


いつまでもいつまでも愛してるよ

私はキミと暮らせて本当に幸せだったよ
今でも幸せだよ、だけど寂しいよ
ありがとう、ありがとう


ねぇ、キミは幸せだったのかな

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