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三つ子の魂百までと言うけれど

人はそう簡単に変われないよ、と昔ある人に言われた。だから、他人に(変わってほしいと)期待しても無駄だと。

確かに、三つ子の魂百までと言うし、実際そうなのかもしれない。

でも、私は、人は変われると信じて生きている。もちろん、他人を変えることができないのは分かっているけど、少なくとも自分自身は変われると信じている。

ただ、人が変わるには条件があると思う。

それは、変わらなければいけないという必然性に駆られていること、そして、変わるための行動に適した環境に身を置くことだ。

私は大学1年生のとき、ふらふら生きていた。大学の講義もろくに受けず、バイトをするわけでもなく、ただただNetflixばかり観ていた。それは、第一志望を諦め、なんとなく大学に入学した自分と、それによって失われてしまった幼い頃からの夢を誤魔化すための現実逃避だったように思う。だから当時の自分はよく落ち込んでいたし、苦しかった。

そんな生活に飽き飽きしてきたのが大学1年生の夏休みが終わる頃。Netflixで観たい映画も底をつき、やりたいことが次第になくなってきて、自堕落な生活を続ける中身のない自分が心底嫌になった。殻に閉じ込められているように窮屈だった。このままではいけない、とある日ふと思って、とにかく変わらなきゃと思った。この先何年もこんな嫌いな自分でいるわけにいかない、新しい夢を見つけなきゃ、と思った。

そこから、まずは規則正しい生活を始めた。次第に、大学の講義を受け、課題にも真面目に取り組むようになった。そのくらいから、もっと何かやりたいという気持ちが湧いてきて、課外活動に目を向けるようになった。

そんなこんなで、とある学生団体に入った。その学生団体との出会いが今の自分に繋がっていると言っていいだろう。参加している学生は全員が自分の人生に真剣で、そして、それまで出会ったことのある大学生誰よりもずば抜けて優秀だった。同い年とは信じられないくらいに視座が高かった。

こうなりたい、と思える人がそばにいる環境は自分の人生を見直す上で本当に適していた。自分のあまりの無力さに悔し泣きしたこともあったが、必死に彼らに追いつこうともがいた日々は、過ぎ去るのはあっという間で、1年経った頃には、1年前の自分が想像した遥かに先を突っ走っていた。

環境が大事だと思うのは、努力の捉え方が大きく変わってくるからだ。私は、その学生団体に身を置くことで、自分の努力が至って普通なものであるかのように錯覚することができた(側から見たら相当な努力をしていたはずだが)。もし、自分一人だったら、あまりの辛さに1ヶ月も持たなかっただろうと思う。そして、必然性に駆られることが大事なのは、自分を突き動かすエネルギーを持ってしか、人間は馬力を出せないからだ。私は、過去の自分には戻りたくない、と思えたから変わることができた。

色々書いてみたが、結局、私は人は変われると信じたいのだ。

三つ子の魂百までと言うけれど、人は変われると信じて、私は今日も生きている。




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