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共依存について。どちらも体験した私の気づき。

この記事では、私からの視点で、共依存について辛い思いをしている人達が、少しでも何か気づきになれることを書いていけたら、と思う。

どちらの立場も経験してきて、決してどちらかの肩を持つものでも中傷するものないので、それは予め書いておく。

また私の周りにもこのような人達がいて、どちらの立場も辛いものがあって比べられるものではないのだなと思っている。

この記事は、少しでもそんな渦中の人達に届きますように、と気持ちを込めて書いたものでもある。また、私自身に向けて書いた、まとめのようなものでもある。


まず、どちらの立場になったとしても、依存関係に陥る人が悪いのではない。人間は何かに依存していて割合なんて環境によって違う。苦手も得意も必ずしも半々ではないから、依存する割合だって、人によって違う。依存を否定する訳でも、悪だとする訳でもない。

何事も、依存もほどほど、なのだと思う。ほどほどの割合もどこがベストなのかは人によって違う。

依存=悪、ではないから、まずは共依存だと思っていても自分を責めないでほしい、という前提は書いておく。


まず、助ける側の立場のこと。助ける側は、自分が必要とされるために、自分の存在価値を証明してもらうために、構ってもらうために、自分が優位にいるために、実のところ、ひとり立ちしてもらったら困る。都合の悪いことは相手のせいにできるし、愚痴も周りに言える、被害者面しつつ優位に立てるからこの立場を譲れない。そのうえ問題を起こす相手が悪いと内心は思っている。でもそれを追求しないことや、手を出すことが優しさだと思っているけど、むしろ手を差し伸べる度に一向に相手がよくならなくてイライラする。

次に、助けられる側。こちらは、相手が無理やりこっち側の問題まで解決しようとしてくるから、有難みは感じない。そもそも自尊心は低かったから、むしろ、いつの間にか自力で立つ足を奪われていた、いう感じ。むしろ助けられてるっていう恩も湧いてこないが、感謝できないことに対しては罪悪感を感じる。だから好意であっても何をされてもイライラするし、自分は信じられてない気がする。それなのに、この人がいないと生きていけないような気がする。どんどん自分に自信がなくなっていくし、誰も信じられない。

この悪循環になってゆくのだろうと思う。

本当に何とかしたい場合。

助ける側は、ある意味で本当にその人のことを信じる。この人は私が何とかしなくても大丈夫、むしろ他人の問題を自分の手で何とかしよう、できると思う自分の方がおこがましい、勝手に可哀想だと思っていたのかもしれない、相手が自分次第でどうにかなる状況が既におかしい、1人で立てなくしているのは私自身では無いのか、それはある意味ひどいことをしているんじゃないかと自覚を持つこと。

自分も実は相手のせいにして楽な方へいっている。その人のためには動いていない、あくまで自分自身のために動いてしまっている。そしてこれからも自分自身が変わろうとしない限り、人を変えてはこれを繰り返す、結局似たような人を惹き付けてしまって自分を自分で苦しくさせている、という自覚を持つこと。

また、本当にその人を想うのであれば。ある意味突き放す、ある意味では本当の意味でその人自身が立てると信じてあげる勇気をもつこと。


助けられる側は、ある意味他人に対して諦めること。色んな手出し口出しをされても、相手は自分を救ってはくれないし楽にはならない。本当の意味で傷ついたことは相手に理解されていないから、今の苦しい状況がある、と現状を認める。相手を、諦める。いっそのこと、相手の荷物になってやろうと思うかもしれないが、それだと自分も、もっともっと惨めになるからやめておいた方がいい。

その代わり、相手を信じていた分を、これからは自分で自分を信じてあげる、と自分に約束してあげる。自分の機嫌が相手によってコントロールされていないか考える。相手の一言一句に振り回されていないか。でも、それで一喜一憂するようになっていても、自分を責めない。足を取られたあなたが弱いのではなくて、足を取っていった相手も弱いのだから。

そして、お互いに言えるけれど、相手を諦める=冷たい人間ではない。

お互い、諦めるところは諦めて、頼るところは頼る。お互いが真逆を向いているからいきなり治すことは難しいけど、全部自分で自力でやっていって、少しずつ取り戻していく。

それは途方もないことに感じるかもしれないけれど、実は、立ち直れるだけの力は自分自身にはある。自分で立つ感覚を知らないか、立ってきたことを忘れてしまったか、色んな理由があるかもしれない。

まずは、そんな怖い状態の自分も認めてあげること。今は怖いよね、と。

その上で、もう相手のせいにしないこと。相手のせいにする自分が惨めになってしまうから。これ以上、自分を自分で惨めにさせてあげないこと。

つまるところ、お互い、自分が自分を信じていく。という過程が必要になってくると思う。

頑張れとは言わない。尽くした分はお互い返ってこなくて相手の足を引っ張りたくなっているかもしれないし、自分が相手のせいで傷ついたなんてことも認めたくもないかもしれないけれど、そんな状態すらも、怖いからなんだって、認めてあげてほしい。現実と戦おうとしなくていい。まずは、そんな状態を受け入れていい。

相手の問題ばかりが気になるけれど、実は自分が1番傷ついていて疎かになってはいないだろうかと、自分に問うてみてほしい。傷ついてきた事実があるのならば、つっぱねずに、しんどかったねと、認めてあげてほしい。

本当に信じたいものは、自分自身なんじゃないだろうか。どうかあなた自身が自分を大切に、ひいては相手のことを大切にしてほしい。

少し落ち着いたら、何が1番、その人と自分のためになるか、少し考えてみてほしい。

これは私に向けてのメッセージでもある。どうか、あなたらしい人生が送れるように。あなたらしさを取り戻せるように。

傷ついた自分を認めてあげて、その上で無理にがむしゃらに進もうとしないように。

今は進むのが怖いと思っている自分を、自分が弱いからダメだと思わずに、ただただ、お互いは悪くない上で、お互いしんどかったんだ。これからは自分が自分のことを1番に大切にしてあげよう。相手のことも大切に考えてあげよう、と少しでも自分にも相手にも、寄り添える心のゆとりがもてますように。

依存している人だけにではなくて、むしろ気にかけてくれる周りの人がいるなら、その人たちにも向き合ってもいいかもしれない。

閉じた世界になると、善悪が分かれやすくなるものだから、外の人に相談するのは1番いい事で、もし話せる人がいるなら、話してみたらいい。ただ、相談相手は選ばないといけない。悪化する可能性もあるから。

どんな自分も悪いなんてことはない。だから、焦らずゆっくりいけばいい。この話は、少しだけ心の片隅に置いていてくれるだけでもいい。

自分らしさなんて、無理して探そうとしなくてもいい。まずは相手に合わせている自分が疲れている、ということを認めてあげられたら、それだけで1歩、いや何歩も前進していると思う。それだけでいい。

そして、「それだけ」のことに気づけることが、どれだけ凄いことかも、私自身が認めているし、分かっている。

私が私らしく、あなたがあなたらしくいられますように。


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