君の色

「ここに置いたら牛定石、ここに置いたら兎定石、ここまではわかる?」
新が説明していると、蘭は首を捻り乍ら石をジャラジャラと弄っている。
「白と黒だけの世界がなんでそんなに面白いの?」
蘭は石を放り出すと盤の前から立ち上がり、デスクトップの前に移動した。パソコンを立ち上げると、フォトショップで加工した写真のファイルを開いた。デスクトップが置いてある机の上に蘭の愛用しているニコンの一眼レフが、新の方を覗いているようだった。
 蘭の撮る写真は色彩豊かで、季節の花々や深緑の森林、夕焼けの空や夏の入道雲など様々だ。
「確かに、モノクロの写真もいいけど、私は世界の色を閉じ込めたいって思うの」
 新は蘭の放り出した石を片付け、オセロ盤をカーテン際の棚に片した。今まで恋人になった人の中に、オセロの良さをわかってくれる人は居なかった。八掛ける八の盤上に繰り広げられる物語が新は好きだった。白と黒とが互いにひっくり返り乍ら、盤の陣地を鬩ぎ合う様は新たにとっては物語なのだ。
 急にシャッター音が鳴る。新は振り返るとカメラを構える蘭の姿を見留める。
「いや、逆光の君もいいな、と思ってね」
 撮れた写真を確認し乍ら、蘭は満足気に頷いていた。被写体として写されることが多い新だが、自分が容姿端麗だと思ったこともない。しかし、蘭には新の居る風景が大切なものだと伺い識れた。
 蘭はフォトショップでの加工作業に戻ると、首を傾げ乍ら彩度を調節している。蘭は色のある世界で生きているのだなと改めて新は心が苦しくなった。新は蘭から観せられる写真にいつも肯定的な意見を言うように努めていたが、詳細な色味などを言及したことはない。否、することが出来なかった。
 蘭の作業を丸椅子を持ってきて後ろから眺める。写真は蘭の手に依ってどんどん作り替えられているのがレイヤーでわかる。今加工している写真は梅雨に二人で紫陽花を観に行った時の写真だ。紫陽花の前に新が立っている。
「ここの色どう思う?綺麗かな?」
 振り返って新に尋ねる蘭は活き活きとした表情をしている。
「ああ、綺麗だと思う」
 その返答に満足したのか、その写真は名前をつけて保存され、蘭はまた同じ日に撮った別の写真の加工に入る。明度調整、彩度調整、色調補正、様々な工夫が写真に命を吹き込んでいくのがレイヤーを通して新に伝わる。
 蘭の中では写真の中の世界が物語なのだろうと新は漠然と思案する。今は趣味の写真を加工しているが、蘭は広告代理店でも広告の写真を加工している程の腕前だ。新は二人の物語が終わる気配を感じていた。
 新の目に映る風景は混濁とした色を纏っており、それを治すことは出来ないと眼科医が云っていた。色盲であることを打ち明けたら、今まで蘭に「綺麗だ」と云った言葉達が全て嘘になるのだ。嘘吐きと罵られても仕方のないことである。色が鮮明に視える世界を想像することを試みる。しかし、生まれ持って色を識らない新には美しい色というものに恋焦がれるばかりで、混濁とした色の世界から逃げるように目を瞑った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?