戻れない過去、見えない未来

 他人の金で呑む酒は美味い。気弱そうな同僚を誘っては呑みに行き、毎回支払いを任せている。二件目に行くと女は同僚を置いてカウンターの隣に坐る男に声を掛け、男を持ち上げつつ酒を頼む。男は気を大きくし女とその同僚の分も支払ってくれる。週末になると女はそれを繰り返した。
 常連客が居る店に寄ると、必ず隣に坐る。BARのマスターもやれやれという表情は見せるが、女の頼んだ酒の会計を常連客の伝票に付ける。自分の稼いだ金を遣わずに酒を呑めるのは癖になる。
 帰り際には、常連客と腕を組み乍らコンビニに寄り、ウイスキーのボトルと摘みを買ってもらう。これで平日分の酒代も浮くっていう仕組みさ。女は常連客をコンビニに置いて家に帰ると早速ウイスキーのロックを作る。先程買った枝豆に合う。
 毎日酒を呑んでいると、上司から、
「酒臭いんじゃないか?君」
 と云われたので、女は、
「パワハラですよ」
 と答え、その場を逃げる。上司もそれ以上は何も云ってこない。気弱そうな同僚は女を見ると出来るだけ近寄らないように遠ざかっていく。女は人付き合いなどどうでもよかった。どう思われようと仮に憎まれようと、女の心には何の感情の起こりもなかった。自分さえよければいい。
 ある日女は見知らぬ土地に立っていた。どうやってその地まで来たか記憶になかった。スマートフォンで地図を確認すると、県外にまで来ていたらしいことがわかる。女は舌打ちすると、コンビニでワンカップを数個買った。呑み乍ら電車に乗り家路に着くが、ワンカップが足りなさそうなくらいには遠い。
 女は車窓の外を眺めぼんやりと過去の事を思い出していた。離婚した時のこと、子供の親権を取られた時のこと、畳み掛けるように前職を失った時のこと。今の職場でも煙たがられているが、女は人生を半分降りた気でいた。幸せだった日々は戻ってこない。
 離婚する前、夫は必死に女にアルコール依存症の怖さを語っていた。そして強制的に入院させられた事も憶えている。あの時は、離脱症状で手が震え、字も書けなかった。幻視で大量の蟲が部屋を埋め尽くすのを見た。アルコール依存性プログラムは二ヶ月もあり、女は我慢ならなくなり、外出届を出し、BARで浴びるように酒を呑んで病院に戻ると、これまた追い出されるように強制退院させられた。
 夫も子供も女を見限った。別に気にならなかった。なんせ酒以外何も楽しくないのだから。
 女は家に着くと、化粧も落とさず麦酒を冷蔵庫から取り出す。人並みの幸せは捨てたのだ。病が進行していくのがわかる。女は女を蝕むものをアルコールで洗い流そうとする。苦しい。本当は誰かに聴いて貰いたかった。誰かに側に居て貰いたかった。
 いつ何処で道を誤ったか識れない。戻れない道を羨むのは性に合わない。未来を夢見るのも忘れてしまった。只々、女の歩む道が地獄に続いているという事だけが確かであろう。

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