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刷り込み学習の恐ろしさ

 時々、ユダヤ人大量虐殺について文献を読む。 
 感じたことは人間には、
「差別をしないと生きて行けない人種が存在し、差別されないと生きて行けない人種が存在する」
と言うことだ。
 私はちょうど中間にいる。
 もしかしたら、
「人をかわいそうだと思いたい」
「人からかわいそうだ思って欲しい」 
 誰にでもそんな欲求があるのかも知れない。
 私ははっきり言って死ぬ程偏見を持っているし、宗教、人種、様々な差別意識を持っているが表には出さない。
 今、読んでいる本にはタブーが書かれている。
 そもそも人類の歴史なんてタブーで構成されている。
 ギリシャ神話の神様なんか、不倫、タブー、やりたい放題やし。
 今、探求している問題は最初にユダヤ人の村を襲撃したのはドイツ人ではなくポーランド人説があり、この説について自分なりに調べている。
 歴史の概念を覆す説である。
 ユダヤ人に興味があるのは大好きな俳優さんがアメリカ人ではなく、実はユダヤ人だったと知ってから。
 ユダヤ人大量虐殺から長い時間もたち、どう食い止めても事実も虚実もいつかは風化されるものだと私は思っている。
 一番の歴史的な損失は真実の語り部を失うことだ。
 永遠に生きる人間はいない。
 歴史は勝者の意向により都合よく操作されるものである。
 早く言えば時の権力者により刷り込み学習される。
 それだけではない。
 刷り込み学習をしようとする人間は周囲に溢れている、親、教師、友人。
 そんな輩と戦うには自分で学習をして持論を構築するしかない。
 勿論、持論からは私的感情を除きフローチャートを描き限りなく事実に近づける必要がある。

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