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聖徳太子

 古事記(ふることよみ)を読み始めたのは幼稚園児のとき。
 この時代の一番の魅力は「謎が多いから」日本書紀は天皇家と藤原家とは深い繋がりがあるとくどい程書いている。
 古人大兄皇子は天智天皇の義父であるが娘婿を恐れ娘婿の魔の手から逃れる為に仏門に入り吉野に逃げたりとさまざまな点が天武天皇の壬申の乱のときにとった行動と合致する。私は同一人物だと思う。
 日本書紀より古事記の方が信憑性が高い。
 日本書紀は美しい言葉の羅列であるが古事記は表現が生生しい。
 古事記が存在するのに日本書紀がわざわざ編纂される必要があったのかも疑問である。
 私は持統天皇の直系の子孫以外は「認めません」と天皇へ続く道を一本化するために書かれたと思う。
 時代は日本が世界に誇る政治家、西暦1500年代後半に活躍をした、イギリスのエリザベス一世やオーストラリアのマリア・テレジアと並ぶ最強の帝、持統天皇の統治下にあり日本書紀には天皇家(持統天皇の直系血縁)と藤原家(始祖は中臣鎌足)が必要以上に神格化されて書かれているからだ。
 細かいことを言うと天皇家を神格化するのに便乗して藤原家(中臣家)もついでに神格化しました、的な感じである。実際は不比等の父親の鎌足が始祖であり不比等は二代目。
 歴史的目線で言うならば、藤原家はそう歴史のある「家」ではない。
 時代背景として言論や表現の自由等の概念はなく検閲は当たり前。天皇家に気に入られる書物でないと書物としての意味はない。
 生き残るには持統天皇と藤原不比等の顔色を見ながらの編纂作業になる。下手なことを書いて首が飛ぶよりも現天皇と藤原家寄りに纏めるしか道はなかったと思う。
 私は聖徳太子が好きだ。
 聖徳太子が存在していたと信じているし日本初の憲法を作成し2021年になった今も憲法は色褪せずに生きている。
 世界を制しているつもりの大国に小さな島国が「ウチとオタクは同格ですよ」とわざわざ喧嘩を売るような文を小野妹子にもたせる度胸もあるので外交にも長けていた人物だと思う。
「聖徳太子は渡来人だったのでは? 」「金髪の上髪大使像が残っている」
 60年に一度しか見る事が出来ないのに髪が金髪なのは渡来人の可能性が高い。
 そんな、心踊る謎も残してくれた聖徳太子。天皇家と蘇我氏や秦氏の関係も興味深い。
 いつか自分なりの説を纏めて難しい歴史書ではなく一冊のエンターテイメントとして本を書けたら嬉しいと思う。

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