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3月17日(日)

2時ぐらいまで友人と電話。終わったあと結局何もできないで寝た。疲労。
アラームをかけられておらず、焦って起きた。10:30ぐらい。ぐあーと吠えながら縦になる。スリッパを履く。服を脱ぐ。シャワーを浴びる。袖のない服のまま朝食を取る。HUNTER×HUNTERを見終わる。

昼過ぎに友人の卒業展示を見に行った。立体物としての写真。友人のもつ、幾重ものレイヤーであなたを見ているという姿勢にはっとした。向かいたいところの道中に見落としてきたものがたくさんあるはずだった。写真という1枚の中には、そこに写ってるものだけでなく、その場の空気や匂い、感触だとか、どんな人なのか、どんな関わり合いがそこにあるのか、会話があったのか、時間があったのかなど、全てが集約されているのだと気がついた。ただ目の前の景色を写して終わり、だけにしないその真摯な姿勢に心がきらきらした。そして「ただ撮ってそれを飾るだけで本当にいいのだろうか」という彼の信念のような、根性が見えて、卒業制作の展示そのものに新しい風を吹かせているようだったし、立体物として重ねて見せるという展示方法にすることで作品とそれを見た人や写っている人、撮った人の関係性が作られていく瞬間が何度も起こっていく素晴らしい作品になっていたと思う。そして、あなたにも届けたいという開かれたやさしさがないとこの見せ方には辿りつかないはずだ。私たちはあなたや世界のことを幾重ものフィルターを通して見つめている。そのことに自覚的になることで、全てとの関係の奥行きや美しさに気づくことができる。どこまで意図したかなどは分からないが、鑑賞体験としても、思考の体験としても素晴らしいものだった。「ここから」という気迫もあった。

友人の卒業制作。『Beyond the Faces』

その後は一緒に見ていた友人と電車で移動し、月島〜門前仲町〜清澄白河を散歩した。ちょっと独特な間がある人で興味深かった。忘れるんだろうなと思って右から左へと流したが、レースのことを「貫通する素材」と呼んでいたことだけくっきり覚えていた。寿司を食べてまた散歩して、帰宅。疲れてしまったのか、部屋の床に2時間ぐらい座り続けてしまった。これ、当分回復できないかもと怖くなって助けを求めるように友人何人かに連絡した。その中のひとつの会話で、ディズニーランドに行くことが決まった。

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