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【前編】恋した学校での1ヶ月。私の2つの影の話。

大好きで、この学校しかないと思ってしまうほど、運命を感じていた学校に入学してから1ヶ月がたった。

今もだけれど目指していた頃は特に、朝起きても、ご飯を食べていても、授業を受けていても、どんなことをしていても、ずっと考えて、ワクワクが止まらないほど恋をしていた。

でも、そんな恋焦がれていた学校にあったのは、ただワクワクすることだけではなかった。

一期生にかけられている期待への焦り、不安、怖さ。

カルチャーを作っていくのは、私たちということの、自由さ、大変さ、不安。

それは、いつもネガティブなことをワクワクに変換できる私でも、耐えきれないもので、どうしようもないくらいに深い闇で、全てを投げ出したくなるくらい辛いことだった。

そんな、入学してからの1ヶ月の私の影を、正直に綴ろうと思う。

書いている今は、まだその影の中にいる。多分、これからずっとその影を持ち続けることになると思うし、その影がなくなることはないと思う。でも、それでも、自分の気持ちをここに綴りたいと思ったし、知って欲しいと思った。
この影を届けた先で、きっと、誰かに何か届くものがあると思ったから。

始まり

入学式も終わり、オリエンテーションが始まる4月3日、月曜日の朝。この日から朝食のお皿は自分たちで洗うことになっていた。

朝食は、食堂で自分たちが必要な分だけお皿に盛り付けるバイキング制で、そこまではいつもと変わり無かったのだが、この日からお皿を自分たちで洗わなければならないというタスクが増えて、1時間の朝食をとる時間が終わるギリギリまでお皿を洗う人が並んでいる事態となってしまった。

徒歩5分でオフィスに着くから、今考えたら特に気に留めないことなのかもしれないが、その日が初めてオフィス集合だったこともあり、すごく焦ったことを覚えている。
その焦りは、私だけではなくて、他の人たちも感じていた。

だから、夜、同じ思いを持っていた5人が、食堂のホワイトボードの前に自然に集まって、「当番制にしたらいいんじゃないか?」「バイキング制のままでもいいんじゃないかな」と気づいたら話し合いをしていた。

そんな話し合いをしていたら、食堂のスタッフの方が「朝食の際、みんなには食べることに集中してもらいたいので皿洗いは私たちでやります。」と声をかけてくれた。
最初に集まったテーマは解決されたけれど、話し合いをしていくうちに、朝食の配膳も当番制がいいんじゃないかというアイデアが出てきたり、寮の清掃について当番を決めた方がいいのではないかというアイデアが出てきたから、「じゃあ、この週は”HOMEのルール決めウィーク”にしよう!」と話して、次の日から毎日19時に、HOMEにある会議室でみんなで集合することにした。

この時の私は、全て投げ出してしまいたくなるくらいの怖さが待っているとはちっとも思っていなかった。ただ、神山まるごと高専の1人の学生として、小さな社会の1人の大人として、責任を持って、HOMEでの生活を良くしたいという思いだけだった。

1日目

そして、ついに会議が始まった。

ダルそうにしている人も何人かいたけれど、それでもまずみんなが会議室に集まってくれたことが嬉しかった。

会議では、私が言い出した責任とかそういうのもあったけれど、みんなの前に立って進行をすることが好きだったし、それをすることが自分のアイデンティティだと思っていたから、進行をした。
自分の中で、場をまとめて進行を上手くできるという自信が、少しだけあった。今までイベントを開催したときも自分でやってきたし、入寮した日にプレゼンの順番を決める時もやって、反省点はあったけれど、時間内に決めたいことを決めることができたと思っていたから。
そんな、経験からの少しの自信と、みんな全力で参加してくれるだろうという期待と、ほんの少しの不安。3つの感情が混ざった状態で、会議が始まる19時を迎えた。

その会議は、決して「良い会議だった!」と言えるものではなかった。みんなに迷惑をかけてしまったし、みんなの大切な時間から、50分も奪ってしまったと思ってしまうほどのものだった。

会議中は、どんなことがあっても笑顔でいることが私のポリシー。だから、最後まで多分笑顔でいたけれど、終わって、大体の人たちが会議室を出て行った後、崩れるように泣いた。
そこまでピンと張っていた糸がぷつんと切れたみたいに、涙がとまらなかった。

進行をしていくたびに、みんなの顔がどんどん曇っていったのもわかっていたし、この時間を無駄だと思っていることも伝わってきた。
サマースクールの考え方の中に、「全員合意、全員納得」というものがあった。その考え方を大切にしていたから、なるべく達成させるために、みんなの意見を聞きすぎてしまって上手く進行ができなくて、話がずれてしまったことが数回あった。
なぜそれを話すのかもみんなと共有することができなかったから、グダグダで、みんなの会議への熱を高めることができなかった。
起きた全てのことを自分のせいだと捉えて、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

何人かの仲間は会議室に残って、前を向いて次の日の会議のことを話し始めていたけれど、そんな気持ちにはなれなくて、一度外に出た。
神山まるごと高専の看板の近くで、ひっそりと、でも、まるで転んで怪我をしてしまった子どもみたいに嗚咽をもらしながら泣いていた。涙が止まらなかった。それから、持っていたノートを取り出して、感情を書き殴っていたら「怖い」「不安」「悔しい」この3つの感情が何度も出てきた。

みんなの大切な時間を奪ってしまった。取り返しのつかないことをしてしまった。と気づいてから、最後までずっと怖くて、本当は震えていた
仲間を信じることができなくて、勝手に1人だと思ってしまって、1人で全てやらないと行けないと思ってしまって、不安でいっぱいだった
「自分がやる」と言ったのに、100%の準備をして戦えなかったことが悔しかった
「怖い」「不安」「悔しい」この3つの感情が混ざって、涙がずっと流れていた。

でも、同時に「こんなことしてる場合じゃないよな。」と思った。
「泣いたり、クヨクヨするのは、今じゃなくてもできることだから、今は前を向いて、次の日の会議に向けての話し合いに参加するべき。」だと突然ふっきれて、涙を拭いて会議室に戻った。

戻った会議室では、椅子のレイアウトが変わっていたり、進行を私じゃない人にお願いしようという案が出ていた。

実際、会議が終わってからLINEに何通か「明日の会議進行をやらせてほしい」と来ていた。まるで、「ひなこは必要ない」と言われているようだった。
送ってくれた人たちは、そんなつもりで送ったのではないとわかっていたが、正直、他の人が進行をやって、会議が上手くいったとしても、私の存在価値が無くなってしまうと思った。会議がうまくいかなかったのは、私のせいだとみんなに知られて、責められることを恐れていた。
もちろん、他の誰かが進行をやった方がいいのかもしれないことは、私もわかっていた。今引くべきだとも考えたけれど、存在価値がなくなること・みんなから責められることへの恐れ以上に、「このまま終わりたくない」という思いが強かった。このまま中途半端な状態で終わっても、自分の成長につながらないと思ったから。
それを仲間に伝えたら、受け入れてくれて、私1人に負担が行かないように役割分担をすることを条件に、次の日もやらせてもらえることになった。
部屋に帰って、また涙が止まらなかったけれど、仲間がずっと隣にいてくれたから、なんとか落ち着かせることができて、次の日の会議のための準備をした。

この日は、初めて神山まるごと高専に入ってマイナスなことで大泣きした日だった。
でも、私の気持ちを大切にしてくれて、寄り添ってくれて、私のために、みんなのために、何時間もかけて考えてくれる仲間がいたから、それも前に向ける涙に変えられた。「仲間を知って、信頼すること」の大切さを学んだ日だった。

2日目

前回の会議は、事前準備を全くしていなかったという反省点があったから、会議が終わった後に残ってくれた人たちや、進行をしたいと連絡してくれた人たちで16時から準備をした。

議題の決定、議題を話し合う意味、進め方、色んなことを2時間で話し合って、それでも決まらない部分は、ご飯を食べながらも考えた。
19時に時計の針が近づいていくたび、どうしようもない怖さや不安が襲ってきて、内心逃げ出したくなった。でも、それでもやるしかなかったし、失敗したままで、あのままで終わりたくなかった。逃げるなんて選択肢はなかったから、自分を奮い立たせて、2回目の19時を迎えた。

だけど、2回目の会議も、決して上手くいったとは言えなかった。
前よりは全体の時間が早く終わるようにしたし、意見を聞きすぎることはなかったと思う。前回と比べたら、成長した点もあったけれど、今度は逆に「みんながどうしたいのか」を聞く時間を設けなかったし、極端に意見を聞く機会をなくしてしまった。

みんなの雰囲気は、文字通りの「最悪」に近かった。
そんな雰囲気を感じ取って、また大切な時間を奪ってしまったことに、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

「私が会議の進行をもう一度やる」ということは、「みんなに私を信じてほしい」と言っているのと同じことだ。だから、前回との違いをパッと見てわかるようにしなければならなかったけれど、それができなくて、結局何も変わっていないように見える会議だった。一度信じてくれたのに、裏切ってしまった。だからこそみんなの私への信用は無くなったと思った。

終わった後、友達がこんなことを言っていた。
「こんな会議がしたいんじゃない。つまんない会議じゃなくて、楽しい会議がしたいの。だってみんなそれが嫌だったからこの学校に入ったんじゃないの?」
正直、この時は、このフィードバックを素直に受け止められるほどの余裕がなくて、棘に思えてしまったけれど、冷静になった今なら、この言葉のおかげで大切なことに気づくことができた。

それでも、みんなからの信用をなくしてしまったことがすごく怖かったし、これからどうしていったらいいのかもわからなかった。だから、混乱と怖さで、また涙が出てきた。

全部投げ出したくなるくらい、全てが嫌になって、恋した学校に来たことが間違いだったのではないかと思った。
みんなにとって、私はみんなの時間を奪ってしまう迷惑な存在で、それが申し訳なくて、私なんかいない方がいいんじゃないかと思った。
それくらい、全てが辛くて、明日が来てほしくなかった。

みんなの視線が怖くて、何も言われていないのに悪口を言われていると感じるくらいに、全てに怖さを抱いていた。

そして、こんなツイートを感情に任せてしてしまった。

今見ると、このツイートは色んな人に誤解をさせてしまうツイートだったと反省する。でも、それくらい、見た人に与える影響を考えられないくらいに心は疲れていた。

寄り添ってくれる友達もいたけれど、その友達の優しさも全て怖くなって、1人でいた。どうしようもできなくて、その日はお風呂に入った後すぐに寝た。

3日目

寝ても、何も気持ちは変わらなかった。
心の中で、真っ黒な雲が太陽の光を全て隠すみたいに広がって、雨を降らし続けていた。いつも笑っている私でも、この時は作り笑いしかできなかったし、人と目を合わせることも、授業でみんなと同じ空間にいるのも怖かった。
でも、私がどんよりとしているせいで雰囲気を壊してしまっては申し訳ないから、なんとかテンションを上げていたけれど、それでも入学式の時のワクワクいっぱいの私とはかけ離れていたと思う

授業が終わって、HOMEに戻って少し時間が経った16時。社会科の先生(以下「リッキー」)が、私のツイートを見て声をかけてくれて、相談する時間を設けてくれた。

「とにかく申し訳ない気持ちでいっぱいで、ここからどうしたらいいかわからない。こんなことになるなら、私はここに来ない方が良かったのかもしれない。それで感情がぐっちゃになって、もう全てが嫌になって、あのツイートをしました。」

そしたら、リッキーはこんなことを伝えてくれた。

ファーストペンギンが一番辛いよ。松井さんは、一番最初に挑戦した。今回のは失敗だったかもしれないけれど、あれでみんなどんな会議が良いのかを考えることができた。それはあの会議がなかったらできなかったこと。いわゆる”後出しジャンケン”。だから、松井さんがいない方が良かったなんて思っていないよ。
「実は、会議が終わった後、学生の話を聞いたんだ。『こんなふうにしたら良いんじゃないか』っていう案とかね。それで今日の夜は時間をとって今回のことで思ったことを少しだけ話そうと思ってる。大丈夫そうだったら出て。」

リッキーと話している中で、「一番最初に挑戦して、一番最初に失敗した」という経験は、間違いなく自分の財産になることだと少し前を向くことができた。

そこから、一度部屋に戻って、18時になる頃に合わせて食堂に行ってご飯を食べた。食堂のスタッフの皆さんが、「元気ないね。大丈夫?」とお盆を持って待っている時に声をかけてくれて、嬉しかったし、その声かけにすごく救われた気持ちになった。そんな皆さんが作ってくださったご飯は、久しぶりに、味気のあるご飯だった。

19時になって、この日は食堂にみんなで集まった。この会議の運営には関わっていなかったから、本当のことはわからないけれど、今までの会議が「会議室」という寒色のライトでワイワイできない場所だったという反省点があったからなんだと思う。

この日は、3人の学生が前に出て、進行をしていた。自信を持って、堂々としていて、かっこよかった。作り笑顔じゃない、心から楽しそうにしていたから、場の雰囲気も暖かかったように思う。みんなが求めていた会議や進行は、こうなんだろうなって、少し胸がキュッとなった。

それから少し話があった後、リッキーが前に来て話し始めた。

「2日間会議をして、どんな会議が良いのかみんなの中で少し考えたと思う。この時間を使って、良い会議について話し合いたいんだけどいい?」

みんなは、選択肢がそれしかないくらい満場一致で頷いた。

「2日間会議をして、それに参加して”ブレスト”と”ミーティング”と”会議”が混ざっていたように感じた。だから、その3つの工程を分けて、わかりやすく今回の場でやってみようと思う。じゃあまず、近くの席の人たちとグループを作って、前の会議の反省点を話しあってみて。」
そしたら、みんな一斉に話をし始めた。
正直、わかっていたけれど、一斉に話ができるほどの反省点があったことがすごく苦しかった。

「じゃあ、そこのグループから一つずつ教えて。」
それから、10個くらいのチームから、一つずつ反省点が出てきた。意見を伝えていた人たちの言葉は、すごく鋭くて、怒っていることが伝わってきた。震えが止まらなくて、怖くて仕方がなかった。でも、逃げるなんてことはしたくなかった。向き合って、この時間を無駄にしたくなかったから、苦しくて、辛かったけど、その場にいることにした。

リッキーは、出た反省点を、私が傷つかないように、やわらかい言葉に変えてホワイトボードに残してくれた。みんなが意見を発表する前にも、「先陣を切って挑戦してくれた松井さんたちに敬意を持って欲しい。」と伝えてくれていた。

リッキーだけじゃなく、隣にいた友達もずっと気にかけながら参加してくれたから、すごく心の支えになった。そのおかげで、泣きそうになりながら、みんなからのフィードバックを聞いて、自分の成長に繋げることができた。

この日、リッキーに言われたファーストペンギンのこと、みんなの真正面からのフィードバックを受け取れたことで、Twitterにも書けるくらい、回復することができた。重荷になっていた「ルール決めウィーク」も、次の日からしないことになったから解放されて、少し軽くなった。

これまでが、Twitterで明かしていた影。
SNSでは、もうワクワクいっぱいの、今までのひな子に戻ったような感じがしているけれど、実は、この影は消えていなかった。


後編に続く。↓

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