妊娠から出産まで書き溜めていた記録たち。
タイトルのとおり、妊娠が判明してからちょこちょこと書き溜めていた記録です。とりとめもなく長いのですが、大事な記録になりました。
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自分の人生において、腹の中で子を育てるというイベントが発生するなんて思ってもみなかった。腹の中にいる子は十月十日を経て、それまでぷかぷかしているだけでよかったのに急に腹の外へ出てくることになる。わが子の場合おそらくイルミネーションで世間がキラキラ輝いている頃だろう。もしかすると、今年のクリスマスプレゼントはわが子の誕生となるかもしれない。
初めて生理が来た10歳の時から、私は婦人科系が弱かった。何度も痛みがつらくて学校は休んだし、試験やイベントや大切な時に本領発揮できなかった。成人してから病院で様々な検査をして、病気ではないがよくない状態と判ってからは必然的に「子のいない人生を歩む自分」をぼんやり考えるようになっていった。もともと全く異なる理由から、結婚も育児も願望はなかったくらい(元々の私の夢は、平屋で庭付きの一軒家で猫と静かに暮らすこと。)なので、そこまで悲観的になる必要が自分にはないことが救いだった。
そんな自分がいま、陽性反応が出た検査薬を目の前にしている。一番初めに、私は母になる資格があるのだろうかと考えた。次に、絶望的なありえない確率の中で宿ってくれたその生命力に感謝し、感動した。本来こちらが先にくるべきだった。
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何度か病院に行きながら、子宮外妊娠の疑惑と強烈な下腹部痛を乗り越え、初めて心拍を聞くことができた。大人よりもずっと早い速度でドクドクと鳴っているその音は、人生で一番神秘的でやさしい音だった。お医者様から「これが心拍です」と教えていただいても、私には、内診台の上で「聞こえます、聞こえます」と繰り返し呟くことしかできなかった。あの音はきっと忘れない。
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つわりのつらさを初めて知った。
世間一般の中では私のつわりは軽いほうだと思うが、それでもいつ終わるかわからない体調不良にはとにかく気力を奪われた。大好きなチョコが大嫌いになり、カリカリ梅と揖保乃糸だけは不安なく口にすることができた。
つわりが終わった今となっては、あの頃の気分の悪さが脳内で完璧に思い起こされてしまうためカリカリ梅は一切食べたくなくなった。
体調が落ち着いてからも、外出中に休憩を取らずに無理をしてしまい、広くて綺麗な商業施設でお手洗いまで生唾を飲み込んで走ったことがある。万一のため夫にカルディのエコバッグをスタンバイしてもらいながら、他人から見たらただ歩いているだけの急ぎ足で脂汗をかきながらお手洗いへ行った。もちろん人生で初めての経験。いつか、それもこれも笑ってわが子に話せる日がくるといいな。
思春期は私も「産んでくれなんて頼んでない」と本気で思ったが、こんなつらい経験は誰かに頼まれてもできることではない。私が、夫が、私と夫の意思であなたと会うことを決意した。あなたの誕生は私たちの自己満足だからこそ、最後まで責任を持って育てるのだと強く覚悟した。
誰にも頼まれていない。でも会いたかった。
だからつわりも耐えることができたんだよ、出産も怖いけど頑張るね。そう思っている。
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そんな体調不良から抜け出したころ、お腹がぐるんと動いた感触がした。朝に豆乳を飲んだから、腸が動いてるのかな?くらいの小さくて気づかないくらいの感触。数日経つと、あっという間に確信に変わっていった。
私は、初めて胎動を感じることができた。
最初はもにょもにょもぞもぞだったのに日を追うごとにどんどん力強くなり、そのうちあばらを蹴られて悶絶するようになった。私の就寝時間が近づくと活気づくわが子の蹴りで、睡眠の質は相当低下した。産まれたらこんなもんじゃ済まないだろうな。
今のうちに寝ておかねば。
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健診で逆子を指摘された。本来赤ちゃんはお腹の中で頭を下にしているが、わが子は頭を上にしているらしい。もう少し待ってみて、それでも逆子が治っていなければ帝王切開の予定を立てる。
チャンスは次の次の検診まで。
元気に産まれてきてくれれば産み方は何でもいいけど、6年前のちょっとした外科手術の跡さえ時々痛む私としては、やっぱりお腹も切らなくていいなら切りたくない。そんな思いから「逆子体操」を頑張っている。
この逆子体操、メッカのお祈りのような格好で頭を床につけるようなポーズのため、ただでさえ圧迫される内臓がさらに圧迫される。とにかく胃酸が逆流するけれど、今できることをやるしかないよね。
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逆子、治っていた。こちらの気も知らず(当たり前)、無事に頭を下にしてぷかぷか穏やかに過ごしているみたい。逆子の事実に気を取られている1ヶ月の間にお腹の子はとても大きくなっていた。もう、万が一産まれても外で生きていけるというのだから驚いた。もちろん十月十日しっかりとお腹で過ごしていて欲しいけど、それを聞けただけでひとつ安心材料が増える。
何より大切な存在のわが子。
私たちの見えないところで1人頑張って育ってくれているわが子。がんばれ!
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色々と心配事が落ち着くと、ふと出産への恐怖を思い出してしまう。
陣痛ってどのくらいの痛み?
前駆陣痛とちゃんと見分けつくかな?
頭位30cm以上ある「人間」が本当に下から出てくるの?
ほかにも会陰切開や、産んだ後の身体のダメージ、退院してからの生活などなど想像がつかないことが多すぎる。なるようにしかならないとは思いつつも、それは準備をやり尽くしてから言っていい言葉。できうるリスクヘッジはしておかないとどんどんネガティブになってしまうたちなので、思いつくことはとにかく準備した。しかしすでに身体が思うように動かせず、家事などの日常生活でさえも最低レベルを何とか保つだけで、出産準備なんて亀の歩みと等しかった。つわりが終わればできると思ってたのになぁ。
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ついに臨月に入り、前駆陣痛(ガチの陣痛(=本陣痛)の前段階である痛み)がくるようになった。この前駆陣痛、本陣痛との見分けがなかなかに厄介で、何度か本陣痛と間違えて病院へ走るものの痛みが引いて帰宅するという、医療従事者さんたちすみませんムーブをかましてしまった。
そして、もうお腹の赤ちゃんがキックすると足の形が浮き出てくるくらいお腹はパツパツになっている。数日前からは腰が痛すぎて寝返りのたびに泣きたくなるけれどそれもそのはず、10kgもの赤子と羊水と胎盤と脂肪を抱えているのだ。
早く出して楽になりたい!
いや出てきてしまったらどれだけ大変な生活が待っているんだろう?
頭の中はひたすらこの繰り返し。
どんな子がお腹の中にいるんだろう。
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予定日を過ぎても呑気なわが子。ついに陣痛促進剤を打つために明後日から入院することになった。
きみのタイミングで出てきてほしかったけど、もしかしてあなたも私と同じ先延ばしグセがあるのかな?へんなところばかり似ないで、良いところも受け継いで出てきておくれ。こんなお母さんだけど一応良いところもあるんだよ。鍋を超美味しく作れちゃうとか!
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生まれた。産んだ。
明日入院、というギリギリのタイミングで陣痛がきて、そのまま予定通り入院となった。最初は「進みが悪く、当日中の出産は難しそう」という助産師さんのお話だったが「こんなに痛いものを明日まで持ち越せるか」という私の怒りの力によるものかどんどんお産が進んで、入院初日に無事出産を終えることができた。取り上げていただいたわが子の顔を見た瞬間「かわいい」と思わず声が漏れた。しわしわのお猿だったけど本当に可愛かった。
私はこの子を、この子が巣立つその日まで必ず守る。
小さければ小さいほど私と溶け合ってしまいそうなくらいか弱い存在。濃密な日々。私とこの子はもうへその緒で繋がれてはいないんだ。可能性にあふれた、未来そのものな新しい命。
この子が将来当たり前に自分の人生を生きていけるように、私も自分の人生を生きる姿を見せていこうと思う。
生まれてきてくれてありがとう。
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子育ての合間、久々にnoteを開いたら、妊娠中書き溜めていた記録がそのまま残っていた。少しだけ加筆してからそのまま投稿しようと思う。
まずは子育て、めーーっちゃ大変!
接客業でもなんでもそうだけど、基本的に(相手の言い分が要領を得ないことは多々あるが)言葉が伝わらず相手の要求が全くわからないままに感情をぶつけられる経験はほぼない気がする。育児は100%これ。理不尽極まりない存在、それが赤子。可愛くなかったらやってられない、の極みである。何度「言ってくれたらなんでもするから何が嫌なのか教えてください」と泣く息子に頼んだことか。
それでも頑張れちゃうのだから神様は赤子の尊さをうまいこと設計したよ。欲を言うともう少し根本を設計し直してほしかったけれど。
生後半年が経った今では、朝目覚めた瞬間から寝かしつけたい時間を逆算して、その日の運動量や授乳量、昼寝の回数や時間などを感覚的に理解できるようになってきた。そして本人の感情表出が豊かになってきたことで、「合っているかはわからないけど少なくとも間違いではないのだろう」という安心感を得られるようになったかな。
新生児期の頃は特にろくに眠れず休めず身体は交通事故に遭ったようなままの痛みと疲労感で、勝手に1人で落ち込むことができていた独身の頃よりもよっぽど心身ともにつらかった。(それぞれまた違ったつらさはあるけれど。)
やはりそれほど命を扱う、守る、育てることのプレッシャーが大きかったのだろう。
「まあ、こんなもんでしょ。」を掴めるようになってきた今、改めて新生児期の息子に会いたい。
余裕がなくて、ぎこちなくて、常に緊張していたね。ごめんね。
もう一度今の私であなたを抱っこしたい。
今の私ならもっと全力であなたの可愛さだけを噛み締めながら抱っこできると思うんだ。
過ごした日々の分だけ、幸せと同じくらい「もっとやれた」という後悔が押し寄せてくる。
だから今日も一日、息子とかけがえのない時間を過ごそうと思える。息子を愛しく思える。
大好きだよ。愛しているよ。大切だよ。
息子よ
これからもどうぞよろしくお願いいたします