雑記

自分と違うものを受け入れてあげる自分に酔うって、浅はかだよなと。
理解できないものってたくさんあって。名前が付いていてもいなくても、本当の意味では理解できていないもの。「存在する」ことは知ってるから、そこに対する疑いはないんだよ、その枠組みがなかったら自分の言葉で説明できない。

わからないものって怖いから、知ろうとしても途中でやめちゃうってのもある。そうやって、異質なものは自分の理解できる「枠」に落とし込んで理解しているような気になる。そうなんだね、つらかったね。そうやって優しい言葉を簡単に言うけど本当の意味では区別してる。

私は、女装してる人が私の体触ったときには嫌悪感を抱きます。
男性にそうされるときの何倍もダメージが大きいです。
存在してくれる分にはいいんだよ、ただ会話をするだけで距離があれば私も友好的に理解のある態度をとれる。整合性の取れない性に振り回されずに、自分に正直に生きる姿はかっこいいと思うし、人間として正常で素敵だと思う。これは本心。

でも、そういう人が、一人称「私」で女性的な扱いを求めて、可愛らしい服可愛らしい話し方で男の人にデレデレしてる人が、すれ違いざまに私のお尻とか触るの。狭い通路を通るときに偶然に見せかけて背中に私の体が当たるようにするの。女性の体の話を、相談みたいに自然な流れでしたり。差別的なことを言われたら大げさに被害者だって傷つけられたって怒って、私が味方するか確かめるみたいに話に巻き込んできたり。

試されてることがわかる。そこの違和感に気づくくらいの経験は持ち合わせてるから、それからは冷たい態度をとるよ。合わせるのは優しさじゃないと思うし、ラインを越えたことに気づいてほしいから。

そういうの、受け入れないといけない?
それが多様性で現代の正しい価値観なの?
みんながみんなそうじゃないことはわかるよ、ただ
私はこの経験から、距離を取らないといけなくなった。でも、これからもわかったふりはする。

結局は人。
全員が悪意を持っているわけじゃないことは知ってる。マイノリティのマジョリティ、名前のついている人たちって正直日常生活であまり会わないのに、話題だけ仰々しくニュースとかで扱われるから1をみて100を知った気になってしまう。
好きな人はたくさんいるよ、それでも嫌な数人にかき消された。無条件に優しくなんかしてあげない。

必要以上にもてはやすから、みんなに優しくすることが正義みたいになったじゃないか。
嘘をついてるわけじゃないんだとしても、悪意には悪意を返さなきゃいけない。
何が多様性だ、くそ